今に見てるがいい。僕には何かがある。
人とは違う、秀でた何かが!
ひたすらにみんなの注目を集め、尊敬されたいと願った若き日のスコット・フィッツジェラルド。
こんなちっぽけな町飛び出して、大都会で成功する!
彼が選んだ手段は、小説。紙とペンに詰まった無限の可能性を信じ、アメリカを代表する作家になることを夢見る。
僕は父さんのような負け犬にはならない。望むものは手に入れる、この手で必ず。
彼は歌う。『Life』、それは夢と希望の歌。
世界は自分のものと信じることができた、若く美しく、輝きに満ちたスコット。
ある晴れた日 僕は思う
人生は美しく 希望は誰にも決して消えることない
光の射さない朝はない
Life この手につかむ Life この世のすべて
夢と栄光に満ちた That’s my life
明日晴れた朝 世界は僕を呼ぶ
明日晴れた朝 世界は僕のもの
彼は望むものすべてを手に入れた。いや、手に入れたかに見えた。
しかし、彼の栄光は長くは続かない。折しも大恐慌の時代に突入し、アメリカン・ドリームが終焉を向かえたとき、スコットの栄光もまた、終わりを告げた。
夢のあとに必ず訪れる挫折。人生の壁。
スコットの背中には羽があった。みんなの手前、二本の足で歩いてみせていたかのような、若き日のスコット。
いや、人は誰も羽など持っていない。着実に、自分の二本の足で歩いていかなければならないのだ。
だが、血の滲むような努力をしても、彼に結果は出ない。
二流のトップになら、誰でもなれる。その二流のトップと一流の間にある、天と地の隔たり。
スコットが本当に目指すものは、後世まで読み継がれる価値のある一流の小説。
身を削いで書いた新作『夜はやさし』は、批評家たちに酷評される。
苦しみ、もがき、それでも思ったように書けないスコット。
その脳裏に今まで出会った人々の幻が現れては消え、さらなる絶望の底へと彼をいざなう。深い闇に沈んでいこうとする彼の前に、最後に立ったのはひとりの学生の幻。
それは、公園のベンチで『夜はやさし』を読んでいた、あの学生だ。
「長いんだなあ。ほら、ヘミングウェイみたいなたたみかけてくる躍動感がないし、スケールが小さいっていうか」
『夜はやさし』を批判し、それでも最後に学生は言った。
「彼の本って、どんな人の人生にも寄り添ってくれるっていうか。だから、どんな人にも語りかけてくる。次の長編、いつ出るのかなあ」、何故だかまた彼の本を読みたくなるのだと。
公園で聞いた学生の言葉、それは絶望にあえぐスコットに射しこんできた、かすかな光だった。
頑張れ、頑張れ、小さな狐。象やライオンなんかに負けるな。
あのときの学生が、スコットにラグビーボールをパスする。それは、スコットにふたたび渡される、希望のパスだ。
そのパスを掴んだとき、スコットの前に道が開ける。大きな壁の前でへたりこんでしまっても、人には必ず希望が残されている。
壁を受け止め、乗り越える。そのときに見えてくる、あらたな夢と希望。
真実の『Life』は、そこにある。
ある晴れた日 僕は思う
人生は美しく 希望は誰にも決して消えることない
光の射さない朝はない
Life この手につかむ Life この世のすべて
夢と栄光に満ちた That’s my life
明日晴れた朝 世界は僕を呼ぶ
明日晴れた朝 世界は僕のもの
今歌っているのは、何も知らず若く野望に満ちたスコットではない。
挫折の先にある未来を、ようやく探りあてたスコットだ。
苦しみぬいた末に見出した、一筋の光。
人生に、光の射さない朝はない。どんなに夜が暗く、その闇が苦しくとも、必ず朝は来る。希望の持つ本当の意味を、彼は理解したのだ。
再起。
今こそ、スコットの真に輝ける『Life』が始まった。
彼は作家だ。二流のトップでしかないと自嘲し、売れない新作に苦しみ、しかし結局は後世まで読み継がれる一流の作家となった。
彼の物語は特別なのだろうか。
いや、そうではない。
今に見てるがいい。僕には何かがある。
人とは違う、秀でた何かが!
自分の前には、無限の可能性が広がっている。
平凡な人生を送る誰にだって、あったと思う。そう信じていた、放漫な若い日が。
しかし。若さも、夢も。そんなものは永遠には続かない。
スコットの人生においても、私たちの人生においても。
二流のトップにすらなれない私だって、ちっぽけな自分の少し上にいる人との天と地の隔たりに、もがき、苦しむ。
いや、スコットにとって一流だったヘミングウェイでさえ、最後は自分の弱さに勝てず、自ら死を選んだ。
人はかくも弱い生き物だ。
公園の学生が言った言葉、「彼の本って、どんな人の人生にも寄り添ってくれるっていうか。だから、どんな人にも語りかけてくる」。
それは、スコットの小説の話であると同時に、この作品の話でもある。
『THE LAST PARTY』が描くスコットの人生は、すべての人に普遍的にあてはまる、生きることそのものの根底にある物語なのだ。
一流の人も、二流のトップも、そして平凡な人生でしかない私も。
人はみな、それぞれの壁にぶち当たり、自分の弱さを受け止め、それでも自分の二本の足で歩いていかなければならない。
逃げずに真っ直ぐ歩く。それは瑣末な日常の積み重ねでしかない、地道で辛い作業かもしれない。
だけど、苦しいときこそ回りを見渡して、大きく目を見開いて。
自分の前にパスされたラグビーボールを、がっちりと掴むのだ。
必ずどこからか希望の光は射してくる。そう、誰の人生にも、必ず。
スコットが輝いてます。タニぃが輝いてます。
いやもう、タニぃの輝きが無駄になってません!感動ですうーーー。
だってね『不滅の恋人たちへ』、私あれ全面肯定みたいに書いてますけど、私が肯定してたのはタニぃの「タニ芸」だけですから。
いかなるときにもきらきらと輝ける大和悠河、その「タニ芸」だけなんです。
本当は、もっと先を言いたかったんだよう。なんでタニぃの輝きを無駄遣いするのって。
書けないことに苦悩して、それでミュッセは何をしたの?酒飲んで彼女とお床ゴロゴロしてハイさようならってなんぢゃあこの話はっ!てか物語になってないぢゃんゴルァ!
と、『不滅』語りには続きがあったのですが、えーと。
公演が続きますとですね、なんだかんだとファンのほうも忙しくてなどと言い訳、さらにインフルエンザにやられ、高熱にうなされてまして。
『THE LAST PARTY』初日に間に合わせて快復したのは愛だねえ、と皆さんに褒め称えて?いただいたのですが、そもそもタニぃの公演前にインフルエンザになるなんて愛が足りなかった、と深く深く反省しております。
とと、話が逸れましたが、結局『不滅』語りの続きに手をつけられないまま(ってこの先ニーズもないのに突然書き出す可能性はあります)、『THE LAST PARTY』初日。
同じ「書けないことに苦悩している作家」を題材にしていながらなんたる違い、景子先生ありがとおおおおお!と、涙が出る思いだったのでございます。
役の輝きとタニの輝きが、正しくリンクしております。
こうなったとき、大和悠河は最強なのですよ。
だって、この世にタニぃ以上に輝いている人なんていないんだからねっ!
「人は誰も羽など持っていない」
や、違うでしょ。私にはタニぃの背中に羽が見えます(前言撤回、早っ)。
では、私はこの作品全面肯定なのか。
んー、それが全面とは言い切れないんだけど(笑)。
とにかく初日報告は「大和悠河はきらきらと輝き、そしてその輝きは無駄になっていないっ」、これにつきますっ。
人とは違う、秀でた何かが!
ひたすらにみんなの注目を集め、尊敬されたいと願った若き日のスコット・フィッツジェラルド。
こんなちっぽけな町飛び出して、大都会で成功する!
彼が選んだ手段は、小説。紙とペンに詰まった無限の可能性を信じ、アメリカを代表する作家になることを夢見る。
僕は父さんのような負け犬にはならない。望むものは手に入れる、この手で必ず。
彼は歌う。『Life』、それは夢と希望の歌。
世界は自分のものと信じることができた、若く美しく、輝きに満ちたスコット。
ある晴れた日 僕は思う
人生は美しく 希望は誰にも決して消えることない
光の射さない朝はない
Life この手につかむ Life この世のすべて
夢と栄光に満ちた That’s my life
明日晴れた朝 世界は僕を呼ぶ
明日晴れた朝 世界は僕のもの
彼は望むものすべてを手に入れた。いや、手に入れたかに見えた。
しかし、彼の栄光は長くは続かない。折しも大恐慌の時代に突入し、アメリカン・ドリームが終焉を向かえたとき、スコットの栄光もまた、終わりを告げた。
夢のあとに必ず訪れる挫折。人生の壁。
スコットの背中には羽があった。みんなの手前、二本の足で歩いてみせていたかのような、若き日のスコット。
いや、人は誰も羽など持っていない。着実に、自分の二本の足で歩いていかなければならないのだ。
だが、血の滲むような努力をしても、彼に結果は出ない。
二流のトップになら、誰でもなれる。その二流のトップと一流の間にある、天と地の隔たり。
スコットが本当に目指すものは、後世まで読み継がれる価値のある一流の小説。
身を削いで書いた新作『夜はやさし』は、批評家たちに酷評される。
苦しみ、もがき、それでも思ったように書けないスコット。
その脳裏に今まで出会った人々の幻が現れては消え、さらなる絶望の底へと彼をいざなう。深い闇に沈んでいこうとする彼の前に、最後に立ったのはひとりの学生の幻。
それは、公園のベンチで『夜はやさし』を読んでいた、あの学生だ。
「長いんだなあ。ほら、ヘミングウェイみたいなたたみかけてくる躍動感がないし、スケールが小さいっていうか」
『夜はやさし』を批判し、それでも最後に学生は言った。
「彼の本って、どんな人の人生にも寄り添ってくれるっていうか。だから、どんな人にも語りかけてくる。次の長編、いつ出るのかなあ」、何故だかまた彼の本を読みたくなるのだと。
公園で聞いた学生の言葉、それは絶望にあえぐスコットに射しこんできた、かすかな光だった。
頑張れ、頑張れ、小さな狐。象やライオンなんかに負けるな。
あのときの学生が、スコットにラグビーボールをパスする。それは、スコットにふたたび渡される、希望のパスだ。
そのパスを掴んだとき、スコットの前に道が開ける。大きな壁の前でへたりこんでしまっても、人には必ず希望が残されている。
壁を受け止め、乗り越える。そのときに見えてくる、あらたな夢と希望。
真実の『Life』は、そこにある。
ある晴れた日 僕は思う
人生は美しく 希望は誰にも決して消えることない
光の射さない朝はない
Life この手につかむ Life この世のすべて
夢と栄光に満ちた That’s my life
明日晴れた朝 世界は僕を呼ぶ
明日晴れた朝 世界は僕のもの
今歌っているのは、何も知らず若く野望に満ちたスコットではない。
挫折の先にある未来を、ようやく探りあてたスコットだ。
苦しみぬいた末に見出した、一筋の光。
人生に、光の射さない朝はない。どんなに夜が暗く、その闇が苦しくとも、必ず朝は来る。希望の持つ本当の意味を、彼は理解したのだ。
再起。
今こそ、スコットの真に輝ける『Life』が始まった。
彼は作家だ。二流のトップでしかないと自嘲し、売れない新作に苦しみ、しかし結局は後世まで読み継がれる一流の作家となった。
彼の物語は特別なのだろうか。
いや、そうではない。
今に見てるがいい。僕には何かがある。
人とは違う、秀でた何かが!
自分の前には、無限の可能性が広がっている。
平凡な人生を送る誰にだって、あったと思う。そう信じていた、放漫な若い日が。
しかし。若さも、夢も。そんなものは永遠には続かない。
スコットの人生においても、私たちの人生においても。
二流のトップにすらなれない私だって、ちっぽけな自分の少し上にいる人との天と地の隔たりに、もがき、苦しむ。
いや、スコットにとって一流だったヘミングウェイでさえ、最後は自分の弱さに勝てず、自ら死を選んだ。
人はかくも弱い生き物だ。
公園の学生が言った言葉、「彼の本って、どんな人の人生にも寄り添ってくれるっていうか。だから、どんな人にも語りかけてくる」。
それは、スコットの小説の話であると同時に、この作品の話でもある。
『THE LAST PARTY』が描くスコットの人生は、すべての人に普遍的にあてはまる、生きることそのものの根底にある物語なのだ。
一流の人も、二流のトップも、そして平凡な人生でしかない私も。
人はみな、それぞれの壁にぶち当たり、自分の弱さを受け止め、それでも自分の二本の足で歩いていかなければならない。
逃げずに真っ直ぐ歩く。それは瑣末な日常の積み重ねでしかない、地道で辛い作業かもしれない。
だけど、苦しいときこそ回りを見渡して、大きく目を見開いて。
自分の前にパスされたラグビーボールを、がっちりと掴むのだ。
必ずどこからか希望の光は射してくる。そう、誰の人生にも、必ず。
スコットが輝いてます。タニぃが輝いてます。
いやもう、タニぃの輝きが無駄になってません!感動ですうーーー。
だってね『不滅の恋人たちへ』、私あれ全面肯定みたいに書いてますけど、私が肯定してたのはタニぃの「タニ芸」だけですから。
いかなるときにもきらきらと輝ける大和悠河、その「タニ芸」だけなんです。
本当は、もっと先を言いたかったんだよう。なんでタニぃの輝きを無駄遣いするのって。
書けないことに苦悩して、それでミュッセは何をしたの?酒飲んで彼女とお床ゴロゴロしてハイさようならってなんぢゃあこの話はっ!てか物語になってないぢゃんゴルァ!
と、『不滅』語りには続きがあったのですが、えーと。
公演が続きますとですね、なんだかんだとファンのほうも忙しくてなどと言い訳、さらにインフルエンザにやられ、高熱にうなされてまして。
『THE LAST PARTY』初日に間に合わせて快復したのは愛だねえ、と皆さんに褒め称えて?いただいたのですが、そもそもタニぃの公演前にインフルエンザになるなんて愛が足りなかった、と深く深く反省しております。
とと、話が逸れましたが、結局『不滅』語りの続きに手をつけられないまま(ってこの先ニーズもないのに突然書き出す可能性はあります)、『THE LAST PARTY』初日。
同じ「書けないことに苦悩している作家」を題材にしていながらなんたる違い、景子先生ありがとおおおおお!と、涙が出る思いだったのでございます。
役の輝きとタニの輝きが、正しくリンクしております。
こうなったとき、大和悠河は最強なのですよ。
だって、この世にタニぃ以上に輝いている人なんていないんだからねっ!
「人は誰も羽など持っていない」
や、違うでしょ。私にはタニぃの背中に羽が見えます(前言撤回、早っ)。
では、私はこの作品全面肯定なのか。
んー、それが全面とは言い切れないんだけど(笑)。
とにかく初日報告は「大和悠河はきらきらと輝き、そしてその輝きは無駄になっていないっ」、これにつきますっ。
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