大和悠河は、演技派ではない。

好きだけど言う。
好きだから言う。
演技力……技量、という点において、大和悠河は決して高いレベルにある人ではないと思っている。
緻密な計算で役を掘り下げ、その人物の輪郭を明確に浮き上がらせる。そういうことができるタイプの役者ではないだろう。

そして、そんなことはどうでもいい。

大和悠河の価値は、それとは全く別のところにある。

だが。

『THE LAST PARTY』が好きだ。
人生の苦しさを肯定し、それでも生きていこうって優しく背中を押してくれる、この作品が好きだ。
人生はせつない。だからこそ美しい。
自分の手で見つけた『Life』、その気高さに胸打たれる。

そう思ったとき、気になることがあった。
タニの技量は、スコットに足りていないのではないか。
「書けない作家」
物を創る人間の破滅、苦悩、そしてあがき。それを越えたときの輝き。

なにしろタニはいつも輝いているから。
苦悩が苦悩に見えにくい。あがきがあがきに見えにくい。

ファンだから言うが、タニは頑張っていたと思う。熱演だった。
タニ的にはすごく苦悩していたし、あがいていた。それは解る。
でも、スコットの苦しさや絶望の底に沈んでいくさまをタニが精細に表していたかというと、やはり少し足りない。出しきれていない。そんな気がした。
作品を好きだと思えばこそ、そんなタニの足りなさが少し辛かった。その「足りなさ」が、作品にとって「欠ける」部分になってしまうから。

『不滅の恋人たちへ』、私はこの作品のタニを絶賛した。
きらきらとまばゆいばかりに、正しく大和悠河。
同じ「書けない作家」でも、ミュッセはあれでいいと思った。
あの作品は、話なんか無いから。ミュッセは何も掴んでいないから。
だから、タニが無駄に輝いてる、それだけがひたすら楽しかった。
タニが演ってることイコールそれがミュッセで、こうしたらいいのにとかタニが足りないなんて全然感じなかった。
真の苦悩が見えない?所詮ミュッセはお坊ちゃまで、苦悩する自分に酔っているだけ。結局、何も解っちゃいない人なんだと思っていた。

だって別にいーじゃんタニの演ってることがミュッセですがなにか?脚本には何も書かれていませんよ問題ないと思いますがなにか?

スコットは違う。負の部分が明確に出ていないと、作品の骨格がぼやけてしまう。
時代の寵児となったスコットが、自分の書きたい物と世間とのギャップに苦しみはじめ、リヴィエラで新しい生活を始める。
このあたりから、舞台が間延びしてくる……ような気が、少しした。

なにしろタニはいつも輝いているから。
苦悩が苦悩に見えにくい。あがきがあがきに見えにくい。

More Party!!
そんなに楽しんじゃダメでしょ。パーティーに逃げるのは苦しいからだ。
はしゃぐスコットの奥底にある苦悩が見えてこないことには、話が変わってしまう。

なにしろタニはいつも輝いているから。
苦悩が苦悩に見えにくい。あがきがあがきに見えにくい。

物を創る人間が受け止めなければならない壁、ひいては人が生きるとき必ず受け止めなければならない壁を表現しきれていないとしたら、その先にある2幕の『Life』は、本当の意味で歌えないのではないだろうか。
きらきらと輝くタニの熱唱に号泣しながらも、そんなことを少しだけ考えていた。

本当は、これが初日の感想。
タニが好きだから、気になる。大好きなタニだからこそ、そこが少し引っかかった。

2日目。
舞台の幕が開き、スコットが登場する。
きらきらとまばゆいばかりに、正しく大和悠河。
夢と希望に満ち、世界中のなにものよりも輝ける、美しいひとりの青年。

これからその瞳は曇り、傷つき、絶望に打ちひしがれる。
それを知ってしまったから。

今の彼の美しさに、息を呑んだ。

こんなに輝いているものが、どんどん堕ちていくのだ。

その哀しさに、胸をえぐられた。

誰もが苦しみ、傷つき、それでも人は生きていく。
生きていかなければならない。

だからこそ、夢と希望の『Life』、若きスコットのきらきらと美しい姿に圧倒された。

まばゆいばかりに、正しく大和悠河。
そして。
まばゆいばかりに、正しくスコット・フィッツジェラルド。

いいんだ。タニはこれでいいんだ。

他の誰に、この輝ける魂が出せるというのか。
タニ以上に輝いている人など、この世に存在しない。

堕ちていく部分に足りなさがあったとしても、輝きのほうにマックスで振り切れていれば、メリハリはつく。
スコットの魂は、それで伝わるのだ。
初日にチラッと思ったことなど、杞憂にすぎなかった。

私は確信した。
他の誰にも、このスコットは出せない。
絶対に出すことはできない。

輝ける若きスコット、傷ついていくスコット、また希望を探りあてたスコット、そしてその人生に幕が下りる最後の1日。
すべてが愛しかった。
スコットが愛しかった。
舞台の上で生きる大和悠河が愛しかった。

今この時間にしか存在しない彼が、心の底から愛しかった。
彼に会える時間が幸せだった。彼と別れなければならないときがせつなかった。

私は、ただただ泣き続けていた。

初日に一緒だったのはサトリちゃん。
「タニじゃなきゃどーだったんだろーって考えずにはいられないの。気持ちのなかで5%くらいね、完璧な芝居でスコット演ってくれる人で観たい、そー思っちゃうのよね」とブチあげたのはすべて撤回します。ごごごごごめんなさい。
だって、タニ以上に輝くスコットなんて有り得ないのよう(でれでれ)。
そして、2日目に一緒だったヨオちゃんは、タニのスコットがいかにすばらしいかという私の演説をえんえんえんえんえんえんえんえん聞かされるハメになる。ごごごごごめんなさい。
だって、タニ以上に輝くスコットなんて有り得ないのよう(めろめろ)。

我が友受難の日は続く(笑)、青年館はあと2日ある。

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