「ワン・モア・ドリーム!」
スコット・フィッツジェラルドの声で、最後のパーティーが始まった。


「この世の終わりのように美しいって言葉があるが、この世の終わりってそんなに美しいものなのかな」

あと1分。

書きかけの原稿に、手を伸ばす。書くこと、すなわち生きること。彼が追い続けた夢。
机の上にある写真立てに、ふと目をやる。いちばん幸せだった頃の彼とゼルダ。
彼が愛そうとし、そして愛したゼルダ。

この世の終わりに、生涯を賭した夢、愛したものたちを抱きしめて。
この世の終わりに、いちばん美しいものたちに一輪の薔薇を捧げて。
愛と感謝と。

彼は右腕を宙に伸ばす。
それをひるがえし、自らの人生に幕を下ろす。

彼が愛したものたちを残して。
彼を愛するものたちを置き去りにして。
この世を去りゆくスコットは、もう決して振り返らない。

それでも、彼の愛は残る。
彼が愛した、彼の小説のなかに。
彼を愛するものたちの、心のなかに。

そして、21世紀に生きる私たちの心にも、彼の言葉は語りかけてくる。
彼が身を削いで紡ぎだした言葉は、彼の愛は、私たちに届く。
これからも、永遠に。


大和悠河の見せてくれた夢が、今日で終わる。
大和悠河が右腕をひるがえし、舞台に幕を下ろす。
日本青年館千秋楽。

だけど、ワン・モア・ドリーム!
この舞台の終わりに、もういちど夢を。
彼を愛する私たちの心のなかに残る、永遠の夢を。

今、フィナーレが始まる。

Welcome’s20’sが、ふたたび流れる。
大和悠河の笑顔がはじけ、舞台のみんなの笑顔がはじけ、客席のみんなの笑顔がはじける。

劇場の空気がきらきらに、きらきらなってゆく。
これがタニの技だと思う。
もちろん、出演者みんなの力あってこその主演ではある。
しかし、劇場にタニの放つ光が満ちてゆくのが、はっきりと見えるのだ。
すべての人を幸せにする、タニの光。
光に満ちる、美しい場所。

つくづく真ん中の人。感嘆する。
真ん中に立つために生まれてきた、まさにそう。

真ん中のタニは、正しく真ん中としての輝きを放つ。

誰よりも正しくねっ!(とまで言っちゃうからイタいんだってば)


たーのーしーいいいいいい!!
もお、すげー幸せだよ、私。
タニは、人に幸せを与えるために、この世にいてくれるんだよね。
最後の舞台をやりとげた、満足感あふれる誇り高い笑顔。あああ!ステキっ!(崩壊)

フィナーレのタニは、スコットの顔なんだけど、でもかなりの確率で「タニちゃん」してて。
ちょっと子どもみたいな、くしゃっとした笑顔。あああ!すげー好きいっ!(崩壊)

最初から最後まで「タニちゃん」ぢゃ困るんだけどね。
役として生きているとき、ふとした瞬間に見せてくれる「タニちゃん」の笑顔が、私は大好き。
場面を壊しちゃうこと?んーと。
あるんぢゃないの?(笑)
だけど、それが大和悠河で、タニの魅力だから。
そして、役とリンクしたときに、その笑顔は何よりも強い武器となるはずだから。
それがあってこそ、大和悠河の演じる役は、大和悠河にしか成しえない色を持って輝く。
どんな役でも、大和悠河にしか出せない答えとしてしまう。そのキーワードのひとつは、笑顔にある。それだけの主張を持った、「タニちゃん」の笑顔。

だから、笑って欲しい。あなたの笑顔を、見せて欲しい。

フィナーレは、遠慮なく笑顔爆発だからっ。

タニ、ぐあんぐあん発光してるからっ。


客席にはペンライトが光っている。1階も、2階も。
出演者に「ありがとう」っていう、私たちからのメッセージ。
きらきらに光る舞台の上のみんなにありがとうを言いたい、みんなに光を還したいけど、私たちは発光してないから(笑)。

この場所にいられることに、感謝を。
大和悠河に、ありがとうを。
舞台の上のみんなに、ありがとうを。


気が遠くなるほど幸せで、だけどせつない。
いつまでもあなたの光を浴びていたいのに。
もうすぐこの時間は終わってしまう。


スコット・フィッツジェラルドとは、今日でお別れしなくてはならない。
でも。
大和悠河はこれからも常に、正しく大和悠河として輝いてくれるだろう。
彼が身を削いで紡ぎだす言葉は、彼の愛は、私たちに届く。
どんな役でも。どんな舞台でも。

だから、私は彼に会いにいく。
また、劇場にいく。
大和悠河が輝いてくれる、この場所にいく。

そうすれば、彼の光を浴びられるのだ。
何度でも夢を見られるのだ。

だから、私は劇場にいく。

どんな役でも。どんな舞台でも。
これからも、永遠に。
大和悠河が大和悠河であるかぎり。
彼に会いに劇場にいく。

そして私は、舞台の彼を愛しつづける。
彼の輝きを愛しつづける。

これからも、永遠に。

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