ヲタクの定義ってなんだろう。
私は何故か、「『薄い本』を作る才能がある人でなければ、ヲタクとは言えない」と思い込んでいた。だから、ヲタクに敬意こそ抱けど、自分はヲタクではないと信じていた。
最近、気づいたのだが。
どうやら私はヲタクらしい。
いや、薄い本こそ書いたことはないけれど。
「ひとつの物事に異様に入れ込み、熱中する人」をヲタクとするならば、私はヅカヲタ、演劇ヲタとしての道を歩き続けてきたことになる。
私と宝塚の出会いは、小学生のときだ。そこからヲタク歴が始まったとすれば、私は人生の殆どをヲタクとして生きてきたわけだ。
少なくとも中学生の私は、今思えば立派なヅカヲタだった。学校の全員とは言わないが、少なくとも同じクラスになった全員は、私の贔屓の名前を知っていたと思うよ(別にトップさんでも何でもないかただったが)。
常に宝塚への愛と贔屓への愛を、大声で叫んでいたからな。
ヅカファン仲間の同級生はいた。だが、田舎の公立中学校において、私みたいに愛を叫びまくって恥とも思わない奴は珍しがられていたようだ。
そして、ついたあだ名は「レズビアン」。私はレズビアンではないのだが、そう呼ばれることに何の抵抗もなかった。
はい男役好きですが確かに女性ですがなにか?それをレズビアンと言うならどうぞどっちでもいーですがなにか?
みんなが「中学生活の思い出」なんかを書く卒業文集に、何を思ったのか「宝塚の宣伝文」をえんえん書き綴ってみたり。
そんなことはすっかり忘れていたのだが、数年前の引越しでその文集を発見し、流石に赤面した。イタい、かなーりイタいぞ自分。
舞台イコール宝塚と信じていた私が、初めて観た外の舞台は劇団四季だ。中学の終わり頃だったと思う。
それからはいろいろな舞台を観るようになった。ミュージカルが大好きだったし、小劇場に入れ込んだりもしていた。
とにかく、お金と時間の許す限り、劇場に通う生活を続けてきた。
今はほぼヅカオンリーのヅカヲタに戻ってしまったのだが(笑)、宝塚が「いろいろ観る舞台の1カテゴリー」にしかすぎない演劇ヲタの時期もあった。実はそちらのほうが長いかもしれない。
何故、いきなりこんなヲタ歴話をしているのか。
というのは、『THE LAST PARTY』前楽に、高校時代の演劇ヲタ仲間を誘ったもので。
彼女と一緒に、何本の作品を観たことか。
高校の頃は、いつも共に行動していた。劇場へ行くのも、チケット売場に並ぶのも。
私たちの遊び場は、日比谷だった。
勉強はしない、学校はさぼる、親はだます、目的は演劇。悪い子どものような、シブい子どものような?(笑)
彼女の隣で舞台を観るのが、私は好きだ。驚くほど感じかたが似ているんだもの。
興奮冷めやらぬまま語り合う終演後が、本当に楽しかった。
面白いことに、作品への思いは大抵一致するのに、男の趣味がまるで違う(笑)。
私たちの目線の先には、いつも違う人がいた。
まあ、だから喧嘩にならなかったのかもしれないが。あ、別の喧嘩はよくしたけどね。
マックとケンタ、どっちのポテトが美味しいかでお互い譲らず、つかみ合い寸前の大喧嘩になったこともあったなあ。
その頃、私たちは観劇日記をつけていた。正真正銘の「日記帳」に(笑)。
ただ思いのままをだらだらと長文上等、くどくどくどくど書き綴っていた。
あまりにも長文すぎて書く手が追いつかず、いつも過去の日づけの日記を遡って書いていた(やってることは今と変わらん)。
どうやっても追いつかないので、思いあまった私たちは授業中に日記を書くことにした。授業も聞かず、ノートも取らず、ひたすら観劇日記を書き続ける。
読者など他にいない。2人でお互いの日記の読み合わせをするのだ。
イタい。かなーりイタい。薄い本より、よほどイタい。
最近この話を周りにしたとき、kineさんが「なにそれ?1人同人誌?」と仰られたことに衝撃をうけた。そうか、そうだったのか。
その1人同人誌は、その後何年もそれこそ1人で続けていた。ダンボール箱にぎっちり詰めて、封印してあるけど。
ヲタク。だよねえ。
私たちは、いまだに誘い合って舞台を観にいく。
でも、彼女は普段、宝塚は観ない。
「理由は無い、機会がなくて」と本人は言うのだが、私は思うんだ。
『ベルばら』のせいだっ!
彼女が唯一観たことがある宝塚は、『ベルばら』なのだ。
「舞台をよく観るけど、宝塚は観たことないわ」って人に、「あの『ベルばら』なら1回ぐらい観てみようかな」って気持ちが湧いても不思議じゃない。
そして「舞台をよく観る」人に、あの脚本は耐えられないだろマジで。
初心者なら、「宝塚って綺麗ね、華やかね」って思うことはあるかもしれない。
でも、他の舞台を観ている人間には「宝塚最悪!」と思わせるだけの突出した破壊力がある、ハチャメチャなあの脚本!
私たちが愛する三谷幸喜は、100書いた伏線を100拾いますからっ。
心優しい彼女は、そんなことはおくびにも出さない。
でも、絶対そうだ。『ベルばら』のせいだ。植爺のばかあ!
それが、『THE LAST PARTY』に誘ったら、彼女はあっさり「観たい」と言ったのだ。
どんな話かも知らず、もちろん大和悠河のことも知らず。
たぶん、「ジュンタが面白い作品だって言うんなら、信じていいんじゃないかな」って思ってくれたんだよね。
すっごい嬉しかった。
だけど、ちょっと不安もあった。
大和悠河の芝居は、えーと。特殊だから。
大和悠河は、ファンタジスタだから。
芝居を観る目は肥えている彼女だ。
単純に「下手くそ」と言われたら、どっ、どーしよお?!
あのう技量が、あの、そのう。
なんてね。本当は自信満々。
絶対に伝わる。タニぃの魂の芝居は、絶対に絶対に伝わる。
いろんな舞台を観ている彼女にこそ、観て欲しかった。
ファンタジスタ大和悠河を、実感して欲しかった。
そして後日。『THE LAST PARTY』を観た彼女から、メールを貰った。
>この前はタニちゃんの舞台、ありがとね〜!
>ごめんね、私「宝塚に偏見持ってない」とか言っておいて、やっぱり偏見持ってたみたい。漠然とだけど、「宝塚の雰囲気に、自分の気持ちを近づけなくちゃ!」みたいに思ってた。
>でも、別に苦労しなくても、入り込めた。宝塚独特の表現とかはあっても、「なーんだ、普通の芝居と変わらないじゃん」と思った。
>『ベルばら』しか観てない宝塚のイメージ、勝手に作りあげてたかも。
タニぃの魂が伝わって、彼女の宝塚を見る目が変わったんだよ。
すっごい嬉しかった。
え、えーと。
タニぃの魂が伝わったんじゃなくて、景子先生の魂が伝わったってことなのかもしれない、けど(小声)。
まあ何にせよ、よかったよかった!
だーかーらーね!
『ベルばら』なんか演ってる場合じゃないと思うのだ。
上演する意義はあるのかもしれない。
「宝塚の『ベルばら』」と言えば、世間が「ほお〜」とは言うしね。
宝塚を観るきっかけ、生の舞台に触れるきっかけにはなるかもしれない。
そこから宝塚や舞台を愛するようになる人も出てはくるだろう。
でも、そんなことよりも、本当に人の心に訴えかける作品を世に送り出すことのほうが、何倍も何倍も大切なのではないだろうか。
たとえ地味でも、そういった作品はどんな人の心にも必ず響くはずだ。
「トップスターじゃない人が主演」の「日本青年館で上演される作品」を「どんな人」でも観に行くのかってなると、確かに難しいところなのかもしれないけれど。
でも、大作より良作。宝塚のやるべきことは、そっちではないのか。
そう、彼女のメールの締めの言葉。
>タニちゃん美しくてカッコよかったよ〜!
>ただ「男の趣味が違う」から、見続けても多分好きにならないだろうという予感はあります。
あ、やっぱな(笑)。
私はマックス@まりえった堕ちすると思ってたんだけど。だって、あーいうセクシーな大人の男がもろタイプだもん、彼女。残念ながら、それもなかったよーで。
余談。
彼女は宝塚の知識はないから、いろんなことを聞いてきてね。
「お茶会」っていうのも、謎だったみたい。
それで私は、宝塚における「お茶会」の説明をしたりしてたんだけど。
「それは主役の人だけが開けるの?たとえば今回はタニちゃんだけがやるの?」と聞くので、「そうじゃなくて、生徒さんは殆どみんな公演中にお茶会をやるの」。
そうだ、昨日はあひちゃんのお茶会だったはず。
「昨日は……」、ここで彼女はあひちゃんでも遼河はるひでも通じない人だってこと思い出して。
「昨日はヘミングウェイのお茶会だったんだよ」
をい、ヘミングウェイのお茶会ってどんなだよ?それこそ「テーマ、ストーリー、登場人物」を語り……てえ、すげー(笑)。
私は何故か、「『薄い本』を作る才能がある人でなければ、ヲタクとは言えない」と思い込んでいた。だから、ヲタクに敬意こそ抱けど、自分はヲタクではないと信じていた。
最近、気づいたのだが。
どうやら私はヲタクらしい。
いや、薄い本こそ書いたことはないけれど。
「ひとつの物事に異様に入れ込み、熱中する人」をヲタクとするならば、私はヅカヲタ、演劇ヲタとしての道を歩き続けてきたことになる。
私と宝塚の出会いは、小学生のときだ。そこからヲタク歴が始まったとすれば、私は人生の殆どをヲタクとして生きてきたわけだ。
少なくとも中学生の私は、今思えば立派なヅカヲタだった。学校の全員とは言わないが、少なくとも同じクラスになった全員は、私の贔屓の名前を知っていたと思うよ(別にトップさんでも何でもないかただったが)。
常に宝塚への愛と贔屓への愛を、大声で叫んでいたからな。
ヅカファン仲間の同級生はいた。だが、田舎の公立中学校において、私みたいに愛を叫びまくって恥とも思わない奴は珍しがられていたようだ。
そして、ついたあだ名は「レズビアン」。私はレズビアンではないのだが、そう呼ばれることに何の抵抗もなかった。
はい男役好きですが確かに女性ですがなにか?それをレズビアンと言うならどうぞどっちでもいーですがなにか?
みんなが「中学生活の思い出」なんかを書く卒業文集に、何を思ったのか「宝塚の宣伝文」をえんえん書き綴ってみたり。
そんなことはすっかり忘れていたのだが、数年前の引越しでその文集を発見し、流石に赤面した。イタい、かなーりイタいぞ自分。
舞台イコール宝塚と信じていた私が、初めて観た外の舞台は劇団四季だ。中学の終わり頃だったと思う。
それからはいろいろな舞台を観るようになった。ミュージカルが大好きだったし、小劇場に入れ込んだりもしていた。
とにかく、お金と時間の許す限り、劇場に通う生活を続けてきた。
今はほぼヅカオンリーのヅカヲタに戻ってしまったのだが(笑)、宝塚が「いろいろ観る舞台の1カテゴリー」にしかすぎない演劇ヲタの時期もあった。実はそちらのほうが長いかもしれない。
何故、いきなりこんなヲタ歴話をしているのか。
というのは、『THE LAST PARTY』前楽に、高校時代の演劇ヲタ仲間を誘ったもので。
彼女と一緒に、何本の作品を観たことか。
高校の頃は、いつも共に行動していた。劇場へ行くのも、チケット売場に並ぶのも。
私たちの遊び場は、日比谷だった。
勉強はしない、学校はさぼる、親はだます、目的は演劇。悪い子どものような、シブい子どものような?(笑)
彼女の隣で舞台を観るのが、私は好きだ。驚くほど感じかたが似ているんだもの。
興奮冷めやらぬまま語り合う終演後が、本当に楽しかった。
面白いことに、作品への思いは大抵一致するのに、男の趣味がまるで違う(笑)。
私たちの目線の先には、いつも違う人がいた。
まあ、だから喧嘩にならなかったのかもしれないが。あ、別の喧嘩はよくしたけどね。
マックとケンタ、どっちのポテトが美味しいかでお互い譲らず、つかみ合い寸前の大喧嘩になったこともあったなあ。
その頃、私たちは観劇日記をつけていた。正真正銘の「日記帳」に(笑)。
ただ思いのままをだらだらと長文上等、くどくどくどくど書き綴っていた。
あまりにも長文すぎて書く手が追いつかず、いつも過去の日づけの日記を遡って書いていた(やってることは今と変わらん)。
どうやっても追いつかないので、思いあまった私たちは授業中に日記を書くことにした。授業も聞かず、ノートも取らず、ひたすら観劇日記を書き続ける。
読者など他にいない。2人でお互いの日記の読み合わせをするのだ。
イタい。かなーりイタい。薄い本より、よほどイタい。
最近この話を周りにしたとき、kineさんが「なにそれ?1人同人誌?」と仰られたことに衝撃をうけた。そうか、そうだったのか。
その1人同人誌は、その後何年もそれこそ1人で続けていた。ダンボール箱にぎっちり詰めて、封印してあるけど。
ヲタク。だよねえ。
私たちは、いまだに誘い合って舞台を観にいく。
でも、彼女は普段、宝塚は観ない。
「理由は無い、機会がなくて」と本人は言うのだが、私は思うんだ。
『ベルばら』のせいだっ!
彼女が唯一観たことがある宝塚は、『ベルばら』なのだ。
「舞台をよく観るけど、宝塚は観たことないわ」って人に、「あの『ベルばら』なら1回ぐらい観てみようかな」って気持ちが湧いても不思議じゃない。
そして「舞台をよく観る」人に、あの脚本は耐えられないだろマジで。
初心者なら、「宝塚って綺麗ね、華やかね」って思うことはあるかもしれない。
でも、他の舞台を観ている人間には「宝塚最悪!」と思わせるだけの突出した破壊力がある、ハチャメチャなあの脚本!
私たちが愛する三谷幸喜は、100書いた伏線を100拾いますからっ。
心優しい彼女は、そんなことはおくびにも出さない。
でも、絶対そうだ。『ベルばら』のせいだ。植爺のばかあ!
それが、『THE LAST PARTY』に誘ったら、彼女はあっさり「観たい」と言ったのだ。
どんな話かも知らず、もちろん大和悠河のことも知らず。
たぶん、「ジュンタが面白い作品だって言うんなら、信じていいんじゃないかな」って思ってくれたんだよね。
すっごい嬉しかった。
だけど、ちょっと不安もあった。
大和悠河の芝居は、えーと。特殊だから。
大和悠河は、ファンタジスタだから。
芝居を観る目は肥えている彼女だ。
単純に「下手くそ」と言われたら、どっ、どーしよお?!
あのう技量が、あの、そのう。
なんてね。本当は自信満々。
絶対に伝わる。タニぃの魂の芝居は、絶対に絶対に伝わる。
いろんな舞台を観ている彼女にこそ、観て欲しかった。
ファンタジスタ大和悠河を、実感して欲しかった。
そして後日。『THE LAST PARTY』を観た彼女から、メールを貰った。
>この前はタニちゃんの舞台、ありがとね〜!
>ごめんね、私「宝塚に偏見持ってない」とか言っておいて、やっぱり偏見持ってたみたい。漠然とだけど、「宝塚の雰囲気に、自分の気持ちを近づけなくちゃ!」みたいに思ってた。
>でも、別に苦労しなくても、入り込めた。宝塚独特の表現とかはあっても、「なーんだ、普通の芝居と変わらないじゃん」と思った。
>『ベルばら』しか観てない宝塚のイメージ、勝手に作りあげてたかも。
タニぃの魂が伝わって、彼女の宝塚を見る目が変わったんだよ。
すっごい嬉しかった。
え、えーと。
タニぃの魂が伝わったんじゃなくて、景子先生の魂が伝わったってことなのかもしれない、けど(小声)。
まあ何にせよ、よかったよかった!
だーかーらーね!
『ベルばら』なんか演ってる場合じゃないと思うのだ。
上演する意義はあるのかもしれない。
「宝塚の『ベルばら』」と言えば、世間が「ほお〜」とは言うしね。
宝塚を観るきっかけ、生の舞台に触れるきっかけにはなるかもしれない。
そこから宝塚や舞台を愛するようになる人も出てはくるだろう。
でも、そんなことよりも、本当に人の心に訴えかける作品を世に送り出すことのほうが、何倍も何倍も大切なのではないだろうか。
たとえ地味でも、そういった作品はどんな人の心にも必ず響くはずだ。
「トップスターじゃない人が主演」の「日本青年館で上演される作品」を「どんな人」でも観に行くのかってなると、確かに難しいところなのかもしれないけれど。
でも、大作より良作。宝塚のやるべきことは、そっちではないのか。
そう、彼女のメールの締めの言葉。
>タニちゃん美しくてカッコよかったよ〜!
>ただ「男の趣味が違う」から、見続けても多分好きにならないだろうという予感はあります。
あ、やっぱな(笑)。
私はマックス@まりえった堕ちすると思ってたんだけど。だって、あーいうセクシーな大人の男がもろタイプだもん、彼女。残念ながら、それもなかったよーで。
余談。
彼女は宝塚の知識はないから、いろんなことを聞いてきてね。
「お茶会」っていうのも、謎だったみたい。
それで私は、宝塚における「お茶会」の説明をしたりしてたんだけど。
「それは主役の人だけが開けるの?たとえば今回はタニちゃんだけがやるの?」と聞くので、「そうじゃなくて、生徒さんは殆どみんな公演中にお茶会をやるの」。
そうだ、昨日はあひちゃんのお茶会だったはず。
「昨日は……」、ここで彼女はあひちゃんでも遼河はるひでも通じない人だってこと思い出して。
「昨日はヘミングウェイのお茶会だったんだよ」
をい、ヘミングウェイのお茶会ってどんなだよ?それこそ「テーマ、ストーリー、登場人物」を語り……てえ、すげー(笑)。
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