るいちゃん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ。
「……ゼルダって哀しいね」
私がこうつぶやくと、ドリーさんはぎょっとした顔をして聞き返してきた。
「当たり前でしょ、いったいいつ気がついたっていうんですか?」
「えーと……今の回」
ドリーさんが『THE LAST PARTY』を観たのは初日の2日後、4公演目のときだ。
怒られましたって。
「今まで何観てたんですかっ!」
「えーと……スコット」
呆れかえった視線を私に向け、ドリーさんはこう付け加えた。
「まさかと思いますけど。ゼルダが出ていたことぐらいは、知ってましたよね?」
もお、それぐらい分かってましたってば。
とにかく初日から頭のなかがスコット、スコットで、他のことに気が回るのが遅くなったのよう(大反省)。
アメリカ一のフラッパーガール。フィッツジェラルド夫人。シンデレラ・ゼルダ。
最高の女性と称され、望むものすべてを手に入れた筈のゼルダ。しかし、たどり着いてみると、そこは空っぽの世界だった。
「Who am I?私は誰?私は何?」
恐くてたまらない、何が欲しいか解らない、誰かにつかまえて欲しいのに。
スコットの心は傍にいない。
「私だってできるわ。そう、女優にだってなれる、小説だって」
「もっと、もっと!」
自分の壁と戦い苦しんでいるスコットの横で、ゼルダもまた自分を探して苦しんでいた。
大人になりきれないゼルダが求めていた、スコットの愛。
スコットもまた、ゼルダを愛そうとしていたのだ。しかしスコットは、ゼルダ以上に大人になりきれない子ども。
自分の苦悩に囚われている彼には、ゼルダの哀しみを救うことができない。
そしてゼルダは、どんどん壊れてゆく。
お互いがお互いを愛しているのに、傷つけあうことしかできないふたり。
大人になりきれない、欠けた心を持つ者同士。
「You are me」「I am you」
「あなたと私」「きみと僕」「似た者同士」
幸せの絶頂にいた頃の歌を、今、離れた場所で歌う。ひとつになれない、ふたつの心。
心を蝕まれ、病んでもなおスコットを愛し、彼の幸せを祈るゼルダ。
壊れていくゼルダが、とてつもなく哀しくて。
るいちゃん、ほんっと上手い!フラッパーガールと言われながら、その実は繊細で、それゆえに壊れていくゼルダそのもの。
タニのスコットはまさに大人になりきれない子どもで、ゼルダを救うことなどできはしない。だから余計哀しいの。
病院に入ってからのゼルダが、また哀しくて。それでもスコットを愛している、そして守ろうとする、その思いが痛くて。
号泣しました。なんでこの姿が目に入らなかったんだろ?(首かしげ、そしてふたたび大反省)
私にとって本当の『THE LAST PARTY』は、だから4公演目からかもしれない(遅っ)。
他の出演者たち。
アーネスト・ヘミングウェイ、あひちゃん。
怜悧さと豪胆さ、硬質ないい男。
スコットに冷たいようで、彼を尊敬するからこそ詰らずにはいられない思いが、静かに、だが強く伝わってくる。
タニのスコットが大人になりきれない子どものままで、あひのアーネストが最初からどっしりしていて、その対比が美しい。
そして、これはあひちゃんの持ち味なんだろうけど、豪胆な振る舞いの奥に、繊細さがのぞく。
最後にRYOGAの口から、アーネストが自死したこと、本当に弱かったのは彼だったことが語られたときに、この繊細さが生きてくると思えた。
あと、私はあひちゃんの声が大好きなの。ちょっと癖のある、濡れたような色気のある声。台詞の声もだし、歌なんかゾクゾクする。
「テーマ、ストーリー、登場人物」
あひちゃんの声で言われると、なんかすげーエロいの。歌もかっこよかったなあ。
(そして、月組版初演をご覧になったkineさんの補足、「この台詞、さららんが言ったんだよ」。
この言葉だけでそこにいた全員を爆笑させたさらら氏に、敬愛を捧げます)
マックス、まりえった。
スコットを見出し、見守り続ける編集者。
大人〜!色っぽ〜い!
タニの大人になりきれないスコットを、父親のようにずっと温かく見守る眼差しが優しくて。
そして上手い、なんてったって断トツに上手い。
下級生が多いこの作品を、まりえったの芝居が支えていたと言っても過言ではないだろう。
マックス@まりえったがいてくれてこその、スコット@タニだった。
シーラ、まゆみさん。
スコットの晩年の愛人。
いい女っ!そしてタニのスコットが大人になりきれない子どもだからこそ、余計その包み込む大人の愛が引き立つ。
スコッティ、杏ちゃん。
スコットの娘。
かーわーいいーーー!
タニパパは大人になりきれない子どものくせに、それでも不器用にスコットを守ろうとする。そんなパパが大好きで、甘えて。そしてスコッティもまた、パパを守ろうとする。
もう、この杏ちゃんがすごーく健気で可愛いの。
ふたりの不器用な親子ごっこがいじらしくて。そして痛くて、切ない。
あ、タニファンの間から、「シーラになりたいわあ」って声をよく聞いたんだけど。
ほら、タニファンって案外おねいさまが多いから(笑)。
でも、私は男性に対して保護者のような恋人になるのは絶対に嫌っ。
かと言って、ゼルダも哀しい。そして実は、自分はゼルダ並みに心が脆いと思ってるんだけど(笑)。だから、壊れるまで気づいてもらえないなんて、これも嫌だっ。
スコッティだけなんだよね、結局スコットが不器用ながらも最初から最後まで守ろうとした相手って。
私はスコッティになりたあい!(真顔)
そして、スコット@タニと踊ってくるくる回してもらうのっ(妄想する権利だけは誰にでもあります)。
「パパっ!」「はいっ」(でろでろ〜)(めろめろ〜)
もっと痩せなきゃタニに持ち上げてもらえないわね、っと(さらに真顔で考え込む)。
公園の学生、すず。
スコットに希望のボールをパスする、重要な役。
邪悪な学生。や、嘘。すずなのに(笑)(←パリアをいたぶっていた邪悪なすずの嗤いが頭から離れない人)、さわやかだった。
ただ、スコットより年上に見える学生ってどうよ?(笑)
でも、この学生の言葉がスコットを導くわけだし、タニのスコットは大人になりきれないままの人。すずの学生が子どもっぽくないところが、タニとの対比としていい味になっていたと思う。
これ、ほんとにいい役だなあ。
ローラ、舞良ちゃん。
スコットの秘書。
しっかり者で可愛くて、少し三の線でもあり。こういう役って難しいと思うのだが、ちょっとした間が達者で、客席の空気を和ませてくれた。
「手書きの原稿、読めないんです、先生の字。前はどんな走り書きでも解らないなんてことなかった。先生を休ませてあげてください!」
マックスに訴える、ローラのこの場面が好きでねー。
はい、何回も真似して遊びましたのことよ(いったいどーいう遊びをしてるんだよ自分)。
ローラもまた、スコットの保護者だったんだと思う。
先生を守りたいからこそ離れていくローラの気持ちに、泣かされる。
タニのスコットがまさに大人になりきれない子どもだから、ってもうシツコイからやめとけ(笑)。
や、なんでも「タニのスコットが、タニのスコットが」ってうるさくてすみません。
でもね。
スコット@タニって、本当に欠けている。
何かを掴もうと、大人になろうと、あがき苦しんで。
掴んだかと思いきや、すべてが夢だったかのように忽然と姿を消してしまう。
そう。最期まで大人になりきれないまま、もう私たちが手の届かない世界へ逝ってしまった。
どうしようもなく欠けていて、どうしようもなく魅力的な大和悠河だからこその、どうしようもなく欠けていて、どうしようもなく魅力的なスコット・フィッツジェラルド。
そんな大和悠河が演るスコットの魅力で、周りの人たちの魅力もさらに引き立つわけなんですよ(力説)。それが真ん中の力なんですよ(大力説)。
結論。スコット@大和悠河って、ほんとすげー!(は?)(強引な)(呆)
えーと、るいちゃんへの侘び状が、またもや大和悠河へのラヴレターと化している件について。
アタクシ、タニ担ですがなにか?
タニ友クンちゃんの名言。
「タニちゃんラスパ観なかった人は可哀相ですねー」
ええ、ほんとうに。
残念ながら、映像で大和悠河を解るのは不可能なのよね……あの人のファンタジーは、劇場の空間にこそ息づいているのだから。
映像で解ることは、大和悠河が突出して美しいということぐらい。
その美しさも才能ではあるのだけれど、彼のなかではほんの一部の魅力にしかすぎしかない。
劇場にだけ生きている、その空間にだけ渦巻く、彼の暴走と光。
そこに、本当の大和悠河がある。
劇場で大和悠河と時間を共有したときのみぞ私たちに与えられる、至上の幸福。
みなさん、劇場に行きましょう(にっこり)。
そう。
きっとあなたも、大和悠河にめろめろですわっ(断言)。
「……ゼルダって哀しいね」
私がこうつぶやくと、ドリーさんはぎょっとした顔をして聞き返してきた。
「当たり前でしょ、いったいいつ気がついたっていうんですか?」
「えーと……今の回」
ドリーさんが『THE LAST PARTY』を観たのは初日の2日後、4公演目のときだ。
怒られましたって。
「今まで何観てたんですかっ!」
「えーと……スコット」
呆れかえった視線を私に向け、ドリーさんはこう付け加えた。
「まさかと思いますけど。ゼルダが出ていたことぐらいは、知ってましたよね?」
もお、それぐらい分かってましたってば。
とにかく初日から頭のなかがスコット、スコットで、他のことに気が回るのが遅くなったのよう(大反省)。
アメリカ一のフラッパーガール。フィッツジェラルド夫人。シンデレラ・ゼルダ。
最高の女性と称され、望むものすべてを手に入れた筈のゼルダ。しかし、たどり着いてみると、そこは空っぽの世界だった。
「Who am I?私は誰?私は何?」
恐くてたまらない、何が欲しいか解らない、誰かにつかまえて欲しいのに。
スコットの心は傍にいない。
「私だってできるわ。そう、女優にだってなれる、小説だって」
「もっと、もっと!」
自分の壁と戦い苦しんでいるスコットの横で、ゼルダもまた自分を探して苦しんでいた。
大人になりきれないゼルダが求めていた、スコットの愛。
スコットもまた、ゼルダを愛そうとしていたのだ。しかしスコットは、ゼルダ以上に大人になりきれない子ども。
自分の苦悩に囚われている彼には、ゼルダの哀しみを救うことができない。
そしてゼルダは、どんどん壊れてゆく。
お互いがお互いを愛しているのに、傷つけあうことしかできないふたり。
大人になりきれない、欠けた心を持つ者同士。
「You are me」「I am you」
「あなたと私」「きみと僕」「似た者同士」
幸せの絶頂にいた頃の歌を、今、離れた場所で歌う。ひとつになれない、ふたつの心。
心を蝕まれ、病んでもなおスコットを愛し、彼の幸せを祈るゼルダ。
壊れていくゼルダが、とてつもなく哀しくて。
るいちゃん、ほんっと上手い!フラッパーガールと言われながら、その実は繊細で、それゆえに壊れていくゼルダそのもの。
タニのスコットはまさに大人になりきれない子どもで、ゼルダを救うことなどできはしない。だから余計哀しいの。
病院に入ってからのゼルダが、また哀しくて。それでもスコットを愛している、そして守ろうとする、その思いが痛くて。
号泣しました。なんでこの姿が目に入らなかったんだろ?(首かしげ、そしてふたたび大反省)
私にとって本当の『THE LAST PARTY』は、だから4公演目からかもしれない(遅っ)。
他の出演者たち。
アーネスト・ヘミングウェイ、あひちゃん。
怜悧さと豪胆さ、硬質ないい男。
スコットに冷たいようで、彼を尊敬するからこそ詰らずにはいられない思いが、静かに、だが強く伝わってくる。
タニのスコットが大人になりきれない子どものままで、あひのアーネストが最初からどっしりしていて、その対比が美しい。
そして、これはあひちゃんの持ち味なんだろうけど、豪胆な振る舞いの奥に、繊細さがのぞく。
最後にRYOGAの口から、アーネストが自死したこと、本当に弱かったのは彼だったことが語られたときに、この繊細さが生きてくると思えた。
あと、私はあひちゃんの声が大好きなの。ちょっと癖のある、濡れたような色気のある声。台詞の声もだし、歌なんかゾクゾクする。
「テーマ、ストーリー、登場人物」
あひちゃんの声で言われると、なんかすげーエロいの。歌もかっこよかったなあ。
(そして、月組版初演をご覧になったkineさんの補足、「この台詞、さららんが言ったんだよ」。
この言葉だけでそこにいた全員を爆笑させたさらら氏に、敬愛を捧げます)
マックス、まりえった。
スコットを見出し、見守り続ける編集者。
大人〜!色っぽ〜い!
タニの大人になりきれないスコットを、父親のようにずっと温かく見守る眼差しが優しくて。
そして上手い、なんてったって断トツに上手い。
下級生が多いこの作品を、まりえったの芝居が支えていたと言っても過言ではないだろう。
マックス@まりえったがいてくれてこその、スコット@タニだった。
シーラ、まゆみさん。
スコットの晩年の愛人。
いい女っ!そしてタニのスコットが大人になりきれない子どもだからこそ、余計その包み込む大人の愛が引き立つ。
スコッティ、杏ちゃん。
スコットの娘。
かーわーいいーーー!
タニパパは大人になりきれない子どものくせに、それでも不器用にスコットを守ろうとする。そんなパパが大好きで、甘えて。そしてスコッティもまた、パパを守ろうとする。
もう、この杏ちゃんがすごーく健気で可愛いの。
ふたりの不器用な親子ごっこがいじらしくて。そして痛くて、切ない。
あ、タニファンの間から、「シーラになりたいわあ」って声をよく聞いたんだけど。
ほら、タニファンって案外おねいさまが多いから(笑)。
でも、私は男性に対して保護者のような恋人になるのは絶対に嫌っ。
かと言って、ゼルダも哀しい。そして実は、自分はゼルダ並みに心が脆いと思ってるんだけど(笑)。だから、壊れるまで気づいてもらえないなんて、これも嫌だっ。
スコッティだけなんだよね、結局スコットが不器用ながらも最初から最後まで守ろうとした相手って。
私はスコッティになりたあい!(真顔)
そして、スコット@タニと踊ってくるくる回してもらうのっ(妄想する権利だけは誰にでもあります)。
「パパっ!」「はいっ」(でろでろ〜)(めろめろ〜)
もっと痩せなきゃタニに持ち上げてもらえないわね、っと(さらに真顔で考え込む)。
公園の学生、すず。
スコットに希望のボールをパスする、重要な役。
邪悪な学生。や、嘘。すずなのに(笑)(←パリアをいたぶっていた邪悪なすずの嗤いが頭から離れない人)、さわやかだった。
ただ、スコットより年上に見える学生ってどうよ?(笑)
でも、この学生の言葉がスコットを導くわけだし、タニのスコットは大人になりきれないままの人。すずの学生が子どもっぽくないところが、タニとの対比としていい味になっていたと思う。
これ、ほんとにいい役だなあ。
ローラ、舞良ちゃん。
スコットの秘書。
しっかり者で可愛くて、少し三の線でもあり。こういう役って難しいと思うのだが、ちょっとした間が達者で、客席の空気を和ませてくれた。
「手書きの原稿、読めないんです、先生の字。前はどんな走り書きでも解らないなんてことなかった。先生を休ませてあげてください!」
マックスに訴える、ローラのこの場面が好きでねー。
はい、何回も真似して遊びましたのことよ(いったいどーいう遊びをしてるんだよ自分)。
ローラもまた、スコットの保護者だったんだと思う。
先生を守りたいからこそ離れていくローラの気持ちに、泣かされる。
タニのスコットがまさに大人になりきれない子どもだから、ってもうシツコイからやめとけ(笑)。
や、なんでも「タニのスコットが、タニのスコットが」ってうるさくてすみません。
でもね。
スコット@タニって、本当に欠けている。
何かを掴もうと、大人になろうと、あがき苦しんで。
掴んだかと思いきや、すべてが夢だったかのように忽然と姿を消してしまう。
そう。最期まで大人になりきれないまま、もう私たちが手の届かない世界へ逝ってしまった。
どうしようもなく欠けていて、どうしようもなく魅力的な大和悠河だからこその、どうしようもなく欠けていて、どうしようもなく魅力的なスコット・フィッツジェラルド。
そんな大和悠河が演るスコットの魅力で、周りの人たちの魅力もさらに引き立つわけなんですよ(力説)。それが真ん中の力なんですよ(大力説)。
結論。スコット@大和悠河って、ほんとすげー!(は?)(強引な)(呆)
えーと、るいちゃんへの侘び状が、またもや大和悠河へのラヴレターと化している件について。
アタクシ、タニ担ですがなにか?
タニ友クンちゃんの名言。
「タニちゃんラスパ観なかった人は可哀相ですねー」
ええ、ほんとうに。
残念ながら、映像で大和悠河を解るのは不可能なのよね……あの人のファンタジーは、劇場の空間にこそ息づいているのだから。
映像で解ることは、大和悠河が突出して美しいということぐらい。
その美しさも才能ではあるのだけれど、彼のなかではほんの一部の魅力にしかすぎしかない。
劇場にだけ生きている、その空間にだけ渦巻く、彼の暴走と光。
そこに、本当の大和悠河がある。
劇場で大和悠河と時間を共有したときのみぞ私たちに与えられる、至上の幸福。
みなさん、劇場に行きましょう(にっこり)。
そう。
きっとあなたも、大和悠河にめろめろですわっ(断言)。
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