大和悠河って、ラヴラヴな芝居が決して得意な人じゃないと、私は思っている。
相手役を包み込むような愛情ダダ漏れの芝居。これって宝塚の男役においてとても重要なことだと思うんだけど、その辺は今ひとつな気がする。それよりも「俺」が好き!みたいな。
最近では『ネバセイ』ね(笑)。頼むよ、テレサ愛してくれよ、てか顔見ろよっ(笑)、って何回思ったことか(それでも東宝後半はかなり愛が見えてきたことを、大和さんの名誉ために付け加えておきます)。

リコ観て思った。
一方的に自分勝手に「俺が」オマエを好き!って芝居は、すげーいい!
自分が行け行けで攻め込んでいく。それって「愛」じゃなくて「恋」であって、結局、「俺(のキモチ)」が好き!なだけかもしれないけれど。
「爆走する恋心を演らせたら右に出る者はいない」認定いたしました。

リコは爆走しているけど、暴走はしていない。ここがすごい!
気持ちはグイグイいってるのに、あくまでも表面は静かで美しい。
ただただ内側から発せられる彼の思いだけが、真っ直ぐにローラに向かっていく。ひたすら真っ直ぐに。
だから「愛のボレロ」で、私たちは震撼する。
リコがローラに向ける真っ直ぐな思いは、そのままローラを貫通して私たちに突き刺さるのだ。

ただし、その音程にも、かなり震撼させられるが。
ま、そんなことは、彼の価値を下げるには値しない。
ええ。これっぽっちも。

いつもお前は夢で 開かずのドアを見た
でも今 扉が開いて まだ見ぬ世界へ
それは夢か現か あの声俺を呼ぶ
いつしかふたりは踊る 愛のボレロを

本気なの、リコは。
ふたりでまだ見ぬ世界へ飛び立とうって、本気で思っている。
夢のなかへ。

一方的も一方的、相手は薬でラリってるし。てか、自分がラリらせてるし。
でも、指輪をパキって開けて薬を仕込む顔、悪意なんかないもん。
ローラを魔法にかけているの。愛の魔法。

ふたり夢が現に
愛する俺だけの お前は魔法にかかる
愛のボレロの

リコ、大真面目で魔法かけてる気だから。
「愛のボレロ」が本気の「愛の告白」になっている。
一途に恋する男の、一点の翳りもない叫び。
歌詞のひとつひとつと、リコの邪念のない思いと、その美しい立ち振る舞いと、すべてが合致する。

アン・ドウ・トロワ 血が騒ぐ
すべてさらけ出す
見よ 夜など短い

愛のボレロ、そう。
ハヂメテノヨル。

エロい……彼が純で本気なだけにエロい……ふええええ、恥ずかしい。
もう恥ずかしくって直視できないってば(でも指の間からしっかり見ちゃう、そんな感じ)。 

真顔の恋だから、上着を脱ぎ捨てる姿が、ネクタイを緩める姿が、あんなにも美しいんだと思う。
この瞬間に、嘘はないから。

この場面のリコをこんなふうにもっていくのは、世界広しと言えど大和悠河だけだと思うんですよ。
この芝居は、絶対に大和さんにしかできない。

でね、突如絶叫!

そー・まーーーじか!みーーーらくっ!

これ何て言ってるか、最初真顔で考えこんじゃったんだけど(ニホンゴダト思タヨ)。

あ、他の歌詞も聞き覚えだから、微妙に違うかもしれないです。
こんなに愛をもって聞いてるのに、聞き取りにくいところあるの。大和さんの歌、日本語はいわゆる「すかす」から妙に英語モドキだし、英語はモロ「かな」だから。
もお、大和さんてばまったくう。好き。でへへへ(意味不明)。

好きなんだもん。大好きなんだもんよ。
愛のまーじかみーらくですべて聞き取ってみせますわっ。

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