『ザ・クラシック』の配役が発表になったとき、私が何にいちばんビビったかって、そりゃあジョルジュ・サンド@大和さんでした。
ショパン@かしちゃんと、「男装の麗人」で「耽美」な愛のデュエットを踊らせられるに違いないと、内心ビクビクだったんです。
男装のオカマになってしまうのではないか、そして耽美演ろーとハズしてしまうのではないか、などなど。
http://diarynote.jp/d/73628/20061018.html
http://diarynote.jp/d/73628/20061022.html

心配で心配で初日を向かえ、幕が開いてみて……ビクリーツしましたさ。

これ、ショパンとサンドの場面じゃないじゃん。
運命@蘭とむちゃんが、ショパンの相手役じゃん。

………。

フレデリック・ショパンという、美しい男がいた。
運命=死は彼に恋をした。
ショパンに恋し、その生を弄び、自らの世界へといざなう運命。
そしてショパンは、運命に抱かれ、死へと向かう。

サンドは、運命がショパンを弄ぶなかで、ショパンの前を通りすぎさせた女性。
言ってしまえば、通行人。
なんでこーなるかなあ。

それにね、オカマでもなんでも、男役に女役を演らせる以上、男役ならではに求める役割というものがあると思うんです。強さだとか、野性味だとか。
今回のサンドは、パンツではあるものの、それだけ。くるくる巻き髪の、かわいい女の子ちゃんです。それは外見の問題じゃなく、役割が女の子ちゃんなの。
あれじゃあ「男装の麗人」でもなんでもないじゃん。
この女の子ちゃんを大和さんに演らせる必要があるのか、草野先生の「男役」大和悠河の捉えかたが理解できませんって。
(オーパスといい、フィナーレ銀橋といい、私には理解できないことばっかなのっ!)

女の子ちゃんを演る大和さんは、大変そうなんだよな。
伊達に男役演ってない、だから「見つめられる」芝居を演ること自体にハンデがある。
ゼロからの……むしろマイナスからのスタート。
見た目というより、立ち振る舞いがオカマ。女の子ちゃん役なのに、オカマ。男役目線ガシガシ飛ばしてるし。身体固いし開脚できてないし(それは関係ない)。
もう、ムラの初日はどーしよーかと思った。

るいちゃんがサンドを演れば、何の問題もなかったんじゃないだろーか。
るいちゃんは元々女の子ちゃんだもん。「見つめられる」芝居のプロだもん。かしちゃんの相手役だもん。
かしちゃんとるいちゃんで組めば、ショパンとサンドの間に自然と「熱」が出る。
そうなれば、サンドの役割にも、もっと濃い意味が出るんじゃないかと思うんですよ。
ショパンと、サンドと、運命と。三者の関係が、俄然おもしろいものになったんじゃないかと。

大和さんに演らせる以上、男役であることの意味をきちんと打ち出したサンドにして欲しかった。

それでも、言わせてもらいます。
ファン馬鹿とでもなんとでも言ってください。

かーわーいーーーんだからあ!つか、かーわーいーーーくなったんだからあ、サンド!
せくすぃタニィ目線を自粛し(ムラの初日、緑野さんに「あのう、ミュッセと同じお顔してるんですがタニちゃん」言われたからな)、一途にショパンを見つめ、なあんてかーわーいーーーんでしょー!
ムラの中盤から、俄然よくなったと思っています。
東宝に来てからは、ショパンを一途に愛する女の子にしか見えないわあ!ね?ね?そっ、そーだよね?(ちと不安)(愛は盲目、かもしれん)
かしちゃんの「きらきらお目目」効果かもしれません。
トークショーで、お茶会で、映像で、「かしげさんの瞳がほんとうにきらきらで!(はあと)」という大和さんの言葉を、何回聞いたことか。
毎日その目線を浴びれば、女の子ちゃんになってゆくのよ。

それにね、サンドのときは、あの大和さんでも絶対に客席に目線飛ばさないもん!ショパンだけを見つめてるもん!
……あれ、そんなん当たり前?なんせ客席目線デフォなんで、ほほほほほ。

だいたいね、草野先生は、かしちゃんと大和さんを絡ませる気がないんだよね。
他の場面にしても、かしちゃんと対峙するのは、蘭とむちゃんだもの。
サンドの役割は、ああだし。
大和さんに、男役としてかしちゃんと絡んで欲しかったなあ。
白いかしちゃんに、熱い蘭とむちゃんを絡ませるほうが、創りやすいだけなんだと思うんですよね。
だけど、白いかしちゃんに白い大和さんをぶつけ、かしタニでしか観られないものを創ってよ。だって、あの美しい並びを生かさない手はないって。
ああ、もったいない。

しかも、東宝に来てから、ますます運命がボルテージ上がってますから。
ショパンにサンドを差し向けるときの「さあ、いけーーーっ!……んふっ」みたいな、あのお顔はなんですか?
ショパンとサンドを引き離したあとの、してやったりっつーイヤらしーお顔はなんですか?「おいで、俺の世界へ」ですか?
そして、愛するショパンに死の口づけをする……チューの時間が日に日に長くなっているよーに感じるのは、気のせいですか?
花組のときはそうと認識していなかったんだけど、蘭とむちゃんものすげー耽美に見えるのも、気のせいですか?
や、ゾクゾクしちゃうんですけど。かっこいーんですけど、蘭とむちゃん。

ピアノと共に沈みゆくショパン。
それは、運命を運命にゆだねた(ヤヤコシ)ショパンの、つまりは自らが選んだ運命の形(ヤヤコシ)。

ますますサンド危うし!なんだけど、それでも、ショパンとサンドの間にだって、熱が出てきた。
そして、いつなんどきもオカマだろーとなんだろーと、大和悠河はきらっきらですから。セリ上がってきた瞬間から、ある種無意味にでも輝いているわけで。
こうまで構成が運命×ショパンでも、サンドが食われない理由は、そこにもあると思うの。

「納得でけんぜよ!」
とは言うまい。ん?かなーり言っちゃったか?
と、無理やり慎太郎を出したところで、余談。

「きらきらのお粉が飛び散る貴城さんと悠河さんの、この世のものとは思えないほど美しいショパンとサンドの愛のデュエット・ダンス。
私たちもうっとりなのですが、慎太郎さまを演じていらっしゃるとき、つい竜馬さまを『ショパン……はあと』と、うっとり見つめてしまわれたことはありませんか?」
こんな質問が、ムラのお茶会でありました。
大和さんの答え。

「そんなのないですっ!」(笑)

でも、サンドのとき、ついショパンを「竜馬!」と思ってしまったことが、1回だけあったそうな(笑)。

コメント