1年。

2007年9月5日 貴城けい
2006年9月5日。
この日は花組『ファントム』の新公日だった。
仕事を終え、東宝に向かう前にメールチェックをしたら、あの一報が入っていた。
かしちゃん退団発表。
携帯を持つ手がぶるぶる震え、泣きながら、それでも東宝に向かった。
申し訳ないけれど、新公の内容は殆ど頭に入ってこなかった。
悲しみ、そして怒り。
劇団に対する、怒り。

このとき私は、ただの宙担だった。
雪組の頃から大好きだったかしちゃんが来てくれて、宙組は新しく生まれ変わったばかりだった。
『コパカバーナ』で、TCAで。
新生宙組は美しく、それはそれは美しくきらきらと輝いていた。
私は宙組の幸福な未来になんの疑いも持たず、その夢に酔っていた。

なんの疑いも持たず。なにも知らず。
そんな自分が口惜しかった。
なにも分かっていなかった自分が悲しく、恥ずかしかった。
ここまで酷い、まるで横殴りみたいなやり方で、かしちゃんの、るいちゃんの、宙組の幸福を奪おうとする劇団が許せなかった。

そう。このとき私は、ただの宙担だった。
だから劇団を憎むことにしか頭が回らなかった。

やがて大劇場の幕が上がった。
そこで見せてくれた、宙組トップスター貴城けい。
煌きたる気高いそのトップとしての姿に、私は完堕ちした。

悲しみ、怒り、憎しみ。そんなことに心を費やしている時間など、もう残されてはいないのだ。
今できることは、宙組トップスター貴城けいの姿を自分の目に焼きつけることだと。
最後の瞬間まで貴城けいを見つめ続けることしかないのだと。
それを思い知らされた。

そして彼から、たくさんのたくさんのしあわせをもらった。

貴城けいはトップになってこそ、その真の魅力が開花する人だった。
真ん中こそが最も彼に相応しく、彼の立つべき場所だった。
限られた時間に、己の持つ力を余すところなく発揮し、輝いて、輝いて、壮絶に輝いて貴城けいは宝塚を発った。

かしちゃんは、そのトップとしてのスタートから終わりが分かっていた、全力でぶつかるしかなかったのだと。
だから「化ける」ことができたのではないかと。
そういう言いかたをする人もあるが、私はそれに頷くことはできない。
それだけのスキルを元々持っていない人間に、「化ける」ことができるはずなどないからだ。
彼の持つトップとしてのスキルは、むしろもっと場と時間を与えられるべき高いレベルのものだった。
今日だけは言っても許してもらえるだろうか。
宙組トップスター貴城けいを、もっと長く見ていたかった。
いろんな役を、いろんな芝居を、真ん中の彼で、男役の彼でもっとたくさん見たかった。
彼はそれに応えて、最上の結果を出してくれる人であるはずだからだ。
その可能性を閉ざしてしまったのは、劇団だ。

「時の運」そして「人の運」。
いろんなことが重なって、あれだけ真ん中という場所に相応しかった貴城けいが「トップスター」と呼ばれた時間は、残念ながら宝塚では短かった。
だが、彼は私たちに約束してくれた。
「もっともっとしあわせになります」と。

もっともっとしあわせなあなたを。
女優貴城けいを。
私は追い続けよう。

もっともっとしあわせな未来を。
あなたに見せてもらおう。
そして私も、もっともっとしあわせをもらおう。

あなたなら、女優貴城けいという別の姿になっても、必ずや輝き続けてくれるであろうから。

今は彼女になった、あなたのもっとしあわせな未来を。
見つめ続けていたい。

私は宙組子たちの気持ちが、とてもよく分かる気がする。
ある意味、彼らと私は同じだからだ。
突然、目の前に舞い降りてきたくるくるお目目の王子さまは、自分たちの心を奪うだけ奪って、あっという間に遠くへいってしまった。
「かしさん大好き!いかないで!」って叫んでも、彼はにっこり微笑むだけで、もう自分たちのいる場所に帰ってきてくれはしない。

だけど、ひとのこころは決して与えられた愛を忘れはしない。決して。

ひとのこころは、忘れはしない。

愛を、決して忘れはしない。

かしちゃんが与えてくれた、大きな大きな愛。
かしちゃんがいてくれた、宙組の幸福な時間。
それは組子にとっても、宙組ファンにとっても、私にとっても。
かけがえのないもの。

絆とは長さではない。

深さに、その意味がある。

かしちゃんと宙組子の絆。
それはとてつもなく深い。

この絆があるからこそ、今の宙組の舞台がある。
このことを強く心に刻んでいる組子たちも、このことを強く感じている宙組ファンたちも、だから今がある。

あの日から1年。
そして、女優貴城けいのもっとしあわせな未来。
もうすぐ、初日の幕が上がる。

今。
もっともっとしあわせな未来へ。

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