宿命@『A-“R”ex』青年館
2008年1月16日 月組麻子ちゃんが美しい。
壮絶に美しい。
一人世界からかけ離れた美しいお衣装を身に纏い、そう、独り世界から切り離されて、壮絶に美しい彼は、壮絶な孤独を背負い。
それでも、彼は進む。ただ進むことしかできない。
理由なんかない。
あるとすれば、それは「王」だから。彼は「王」だから。
彼が孤独すぎて辛い。彼が孤独すぎて痛い。
それでも、彼は進む。ただ進むことしかできない。
理由なんかない。
あるとすれば、それは「王」だから。彼は「王」だから。
麻子ちゃんの壮絶な美しさを、彼の背負わざるをえない壮絶な孤独と共に、あらためて認識した。
その死が来る日まで、彼はこの孤独と闘い続けなければならない。
それが「王」の宿命だから。
おもしろかった~~~!!
一幕は、その饒舌さが冗長さに通じるようにも感じましたが、怒涛の二幕にコロっと持っていかれました。
麻子ちゃんが美しい人だとは分かっていましたが、ここまで彼を美しいと思い知ったのははじめてです。
kineさんと「演出」や「演技」であんなにも人を美しく見せることは可能なのかと話していたのですが、ほんとどうなんだろう?
ただ、「美しくない」……「王ではない」者を「王」に見せることは不可能だと思うんです。
「美しい」=「王」だと言っているわけじゃないですけど。
概念としての「美しい」「王」。
麻子ちゃんが「王」だからこそ、この作品は書かれたんでしょう。
「王」である、あり続けるというのは、それはそれは辛いものなのかもしれない。
でも、それを演れるのは、やはり選ばれた人間だけだということ。
美しいお衣装を着せられる、その宿命。理由も分からず進まざるをえない、だからこそ背負わざるをえない、辛く孤独なその宿命。
麻子ちゃんだからこそ、アレックスは壮絶に美しく、壮絶に哀しい。
そして麻子ちゃんだからこそ、アレックスは「王」として哀しい宿命を背負うべく生まれてきた、選ばれし人なのだと理解できる。
これ、大和さんでも見たいですねえ。
荻田先生の世界観に大和さんは合わないと単純に思っておりましたが、世界から浮くことを逆手に取るという、この手があったのかと。
麻子ちゃんのアレックスは、自分の孤独にどんどん追い詰められてゆく。苦悩し、ボロボロの心でそれでも、なのに壮絶に美しいまま、ただ進み続ける。
正しく美しく、正しく哀しい。
大和さんのアレックス、別の意味でめちゃめちゃ痛いと思うんですよ。
美しいお衣装を着せられることの意味も分からず、自分に背負わされた孤独も感じず。
「彼だけがこの世界から浮いている」ことを、彼以外の誰もが気づいているのに。
彼本人だけが知らない。
それを理解できない。
哀しい、哀しい道化師。
だけど美しい道化師。
苦悩すらしない。できない。
だって、彼には分からないんだもの。自分の進んでいる道も、いや、自分の立っている場所さえも。
それが孤独だなんて、知る由もない。
自分が着ているお衣装が美しいことと、自分自身が美しいことぐらいは、もしかしたら彼にも理解できるかもしれませんが。
痛い。
痛すぎて悶絶します。真顔で見たいわ。
などと私が平気で言ってしまうのは、自分ですら気づかないほど厚く覆い隠してしまっているあなたの心の奥底にあるあなたの本当の孤独を、私は分かっているの。
なあんていう傲慢で屈折した愛。なのかも、しれません。
大和さんもまた、孤独を背負うべく生まれてきた「王」であるから。
「王」としてしか、生きられないから。
選ばれし人間の、これは宿命なのだから。
そしてkineさんと二人、「ヒロム~~~っっ!カッコエエエエエエェェェエエエ!!」と絶叫してきました、はい、もうこれお約束ですね。(笑)(そして二人を生ヌルく見つめるドリーさんという図も、既にお約束の域かもしれません)
ええ、ワタクシってば、またもやキリヤさんに惚れ直してしまいましたの……ぽっ(赤面)。
壮絶に美しい。
一人世界からかけ離れた美しいお衣装を身に纏い、そう、独り世界から切り離されて、壮絶に美しい彼は、壮絶な孤独を背負い。
それでも、彼は進む。ただ進むことしかできない。
理由なんかない。
あるとすれば、それは「王」だから。彼は「王」だから。
彼が孤独すぎて辛い。彼が孤独すぎて痛い。
それでも、彼は進む。ただ進むことしかできない。
理由なんかない。
あるとすれば、それは「王」だから。彼は「王」だから。
麻子ちゃんの壮絶な美しさを、彼の背負わざるをえない壮絶な孤独と共に、あらためて認識した。
その死が来る日まで、彼はこの孤独と闘い続けなければならない。
それが「王」の宿命だから。
おもしろかった~~~!!
一幕は、その饒舌さが冗長さに通じるようにも感じましたが、怒涛の二幕にコロっと持っていかれました。
麻子ちゃんが美しい人だとは分かっていましたが、ここまで彼を美しいと思い知ったのははじめてです。
kineさんと「演出」や「演技」であんなにも人を美しく見せることは可能なのかと話していたのですが、ほんとどうなんだろう?
ただ、「美しくない」……「王ではない」者を「王」に見せることは不可能だと思うんです。
「美しい」=「王」だと言っているわけじゃないですけど。
概念としての「美しい」「王」。
麻子ちゃんが「王」だからこそ、この作品は書かれたんでしょう。
「王」である、あり続けるというのは、それはそれは辛いものなのかもしれない。
でも、それを演れるのは、やはり選ばれた人間だけだということ。
美しいお衣装を着せられる、その宿命。理由も分からず進まざるをえない、だからこそ背負わざるをえない、辛く孤独なその宿命。
麻子ちゃんだからこそ、アレックスは壮絶に美しく、壮絶に哀しい。
そして麻子ちゃんだからこそ、アレックスは「王」として哀しい宿命を背負うべく生まれてきた、選ばれし人なのだと理解できる。
これ、大和さんでも見たいですねえ。
荻田先生の世界観に大和さんは合わないと単純に思っておりましたが、世界から浮くことを逆手に取るという、この手があったのかと。
麻子ちゃんのアレックスは、自分の孤独にどんどん追い詰められてゆく。苦悩し、ボロボロの心でそれでも、なのに壮絶に美しいまま、ただ進み続ける。
正しく美しく、正しく哀しい。
大和さんのアレックス、別の意味でめちゃめちゃ痛いと思うんですよ。
美しいお衣装を着せられることの意味も分からず、自分に背負わされた孤独も感じず。
「彼だけがこの世界から浮いている」ことを、彼以外の誰もが気づいているのに。
彼本人だけが知らない。
それを理解できない。
哀しい、哀しい道化師。
だけど美しい道化師。
苦悩すらしない。できない。
だって、彼には分からないんだもの。自分の進んでいる道も、いや、自分の立っている場所さえも。
それが孤独だなんて、知る由もない。
自分が着ているお衣装が美しいことと、自分自身が美しいことぐらいは、もしかしたら彼にも理解できるかもしれませんが。
痛い。
痛すぎて悶絶します。真顔で見たいわ。
などと私が平気で言ってしまうのは、自分ですら気づかないほど厚く覆い隠してしまっているあなたの心の奥底にあるあなたの本当の孤独を、私は分かっているの。
なあんていう傲慢で屈折した愛。なのかも、しれません。
大和さんもまた、孤独を背負うべく生まれてきた「王」であるから。
「王」としてしか、生きられないから。
選ばれし人間の、これは宿命なのだから。
そしてkineさんと二人、「ヒロム~~~っっ!カッコエエエエエエェェェエエエ!!」と絶叫してきました、はい、もうこれお約束ですね。(笑)(そして二人を生ヌルく見つめるドリーさんという図も、既にお約束の域かもしれません)
ええ、ワタクシってば、またもやキリヤさんに惚れ直してしまいましたの……ぽっ(赤面)。
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