リチャード@あひちゃんが哀しい。

彼はハリウッドに名を馳せる名プロデューサー。手がけた映画は必ず成功を収め、美しい妻と有能な部下に恵まれ、何の不自由もない人生を送っている……はずなのに。
いつもなにかに怯えたような、どこか哀しい目をしている。

映画の現場は、彼のひと声に振り回される。イタリアで名高い映画監督にとっても、彼の指示は絶対だ。彼の意に沿うよう、ギリギリの線まで譲歩せざるをえない。
彼こそがハリウッドの帝王。ここハリウッドでは、彼が絶大な権力を握っているのだ。
彼に逆らうことなど、誰にもできはしない。

なのにリチャードは、いつもなにかに怯えたような、どこか哀しい目をしている。

妻を愛し、浮気もせず、彼女の望むものはすべて与えてきた。
そして彼女をもっとも魅力的に見せようと、それだけを願って映画をプロデュースしてきた。
なのに妻は、今の自分はしあわせではないと言う。

必死で演じ続けてきたと。アメリカ一輝いている女を。
なのに、しあわせになれないと。
間違いばかりの人生だったと。

酷ええ!

ずっと昔の恋人の面影を追い続けてきたと。
過去の過ちは取り戻せないのだと。

酷ええ!

リチャードが何をしたというのか。
女が選んだのだ、リチャードのほうを。
そして女は、リチャードによって「アメリカ一輝いている女」という称号を手にした。
そのあげく、それを「過去の過ち」というひと言で片付けてしまう。

酷ええ!

一幕で、憤死するかと思った。
リチャードが哀しすぎて、泣いた。

リチャードが何をしたというのか。
彼はいつも妻に対して誠実だったはずだ。
愛しすぎるより愛されるほうが楽だと、そしてそこから逃げ出したのは、女のほうだ。

リチャードは不幸な子ども時代を過ごしたACだった。
成功も、名声も、富も、決して彼の心の傷を癒すことはなかった。
だからいつもなにかに怯えたような、どこか哀しい目をしていたのだと。
二幕で、それが明らかになる。

妻が自分を愛してなどいないことも知っていたが、自分もまた本当の妻の姿を見ようとはしなかった。
彼が愛していたのは、母の幻影を通して見る妻でしかなかった。
歪んだ大人に育った彼は、歪んだ形でしか妻を愛することができなかったのだ。

歪んだ愛。それでも彼は彼なりに、間違いなく妻を愛したのだろう。
その歪んだ愛は彼自身の手によって幕を降ろされ、かつ、それと同時に永遠となる。

ステファーノも、ローズも、リチャードも、それぞれに哀しいけれど。
最後にリチャードだけが、しあわせを手に入れた。
自分の望む、妻との永遠に続く愛を。
そして、彼の憎しみの対象でしかなかった父が、どんなに彼を愛していたか。
もう彼には、それを知ることが叶わない。
だが確かに父に愛されていた、それも彼にとってどれほどにしあわせなことだろうか。

彼の望んだ哀しい結末。
だが美しく、しあわせな結末。

傲慢な振舞いの中にもどこかに負の部分が顔を覗かせてしまう、あひちゃんの持ち味。そんなあひちゃんならではの魅力がお役に作用した、せつなくも美しい、いい男。

だから私は、こんなにもリチャードに惹かれるのだろう。

それでも初日を見たとき、私はkineさんに言ったの。
「あひちゃんが、あのあひちゃんが涙目になりながらロッキー山脈に突っ込んでいったのかと思うと、涙が止まらない~~(号泣)」
いつも冷静なkineさんは、そのときも冷静にこう答えた。
「それ、あひちゃんじゃないから」

そうよね。
リチャードは自分の選択に揺るぎなどなく、しあわせに包まれたまま最期を迎えたはずだ。
リチャードは。

だが、あひちゃんだと思ってみよう。
ぜってーぶるってるだろう。
顔面蒼白涙目で、操縦桿を持つ手はプルっプル震えているだろう。
あげく腹を据えたあいあいに「自分で決めたんだから、思いっきり行きなさいよっ」と叱られてしまうのだろう。
そしてさらに涙目になることだろう。

しかし、これはあひちゃんの物語ではない。
リチャードは自分の選択に揺るぎなどなく、しあわせに包まれたまま最期を迎えたはずだ。

そう。
いちばんしあわせだったのは、リチャードだ。

成功も、名声も、富も、決して彼の心の傷を癒すことはなかった。
そんな彼が、やっと自らの手で真実の、そして永遠に続くしあわせを掴みとったのだ。

彼の望んだ哀しい結末。
だが美しく、しあわせな結末。

ほっんといい男だったわああ。あひちゃんうく。

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