2008年2月12日。
貴城けいが宝塚を卒業してから、ちょうど一年が経った。
前日の2月11日は、「卒業記念日前夜祭」のお茶会が、名古屋で開かれた。
かし子ちゃんに会いにいってまいりました。
場内が暗くなる。かしちゃんの登場だ。
そのとき、あのイントロが流れた。
風雲に生きる。
メロディを聞いただけで、涙が流れてくる。
劇場で聞いて聞いて、泣くだけ泣いたこの曲。そしてかしちゃんが退団してからは、映像すらまともに見たこともない。
風雲に生きるは、あのときの竜馬は、あのときのあの場所にしか存在していないのだから。映像に、なんの意味があるのだと。
この曲を聞くこと自体、私にとってほぼ一年ぶりになる。
その風雲に生きるを、一年後のかしちゃんが歌いながら、私たちの前に現われた。
紋付袴姿で、髪を一本に結い、手には一枝の桜を持って。
かしちゃんは、もう男役の貴城けいではない。
いまさら私たちに、男役を見せているわけではない。
かしちゃんは今のかし子ちゃんとして、私たちと同じ目線に立ってあの日を振り返っているのだと。私はそう感じた。
あの日に戻るのではなく、今の場所からあの日を想う。
かしちゃんも、私たちも。
あの日。一年前の2月12日。
哀しかったし、苦しかったし、辛かったし、男役の貴城けいとお別れしたくなくて痙攣を起こすぐらい泣いた。
だが、それ以上に、流した涙の量よりたくさんのしあわせを、あの日の舞台からもらった。
あの日のしあわせは、私の一生の誇りとなる大きなものだ。
今、かしちゃんが前に進んでくれるから、私も顔を上げて歩いてゆける。
宝塚というのは虚構の世界で、男役という形ももちろん虚構でしかない。
私はその虚構の形を愛している。つくり込まれた嘘を愛している。
卒業……その殻を脱いだらもう、その人は別の生きものなのだと。そう考えていたし、今もその考えは変わらない。
なぜ、貴城けいを愛し続けているのか、いられるのか、それが自分でも分からない。
宝塚時代の楽屋写真の数々がスライドで映され、明るい笑いの中で思い出話が続く。
そして、ゲストに登場したのは、るいちゃん。
かしちゃんは最近、るいちゃんに聞いたそうだ。
「彼氏がオンナになったって、どんな気分?」
るいちゃんは、こう答えたという。
「かしさんは、かしさんですから」
そうか。
かしちゃんは、かしちゃんなんだ。
かしげくんでも、かし子ちゃんでも、それはかしちゃんなんだ。
私は虚構の中の男役貴城けいとともに、人間貴城けいに惹かれたのだろう。
私が宝塚のかしちゃんを真剣に見つめていたのは、宙組に来てくれたわずか8ヶ月間のことでしかない。
そのわずかの間に、男役としての貴城けいのすばらしさとともに、かしちゃんが見せてくれた人間性に惹かれたのだ。
人を包む懐。人を愛する真心。人を思う優しさ。その優しさの奥の強さ。そしてその強さを支える努力。
かしちゃんの舞台が私に教えてくれた、たくさんのたくさんのこと。
男役の殻を脱いで一人の女優となっても、かしちゃんはかしちゃんだ。なにも変わらない。
かしちゃんがかしちゃんでいてくれるから、私はこんなにもかしちゃんに惹かれるのだ。
いままでも、これからも。
かしちゃん、それから会場に駆けつけてくれたるいちゃん。
ご卒業一周年おめでとうございます。
かしちゃんが「宙組に行けてしあわせだった」と言ってくれたことが嬉しかった。
もっとしあわせだったのは、かしちゃんが来てくれた宙組と宙組のファンなんだよ。
あ、風雲に生きるなんですけどね。
♪今 嵐の雄叫びを~~~ 聞ィィけ~♪のとこ。
「雄叫びを」のあとにキメ顔かますのがデフォで、このキメ顔もさることながら、キメる前にお顔振って溜めるときの「ぶっ!」てゆー表情がたまらんツボだったんですわ。
かし子ちゃん、さすがに「ぶっ!」は、やってくれんかった(笑)。
間奏も踊らないで目えくるくるさせながら聞いてた(笑)。あたしが代わりに踊ったろかと思った(それ大迷惑)。
扇を揚げて返すとこのカッキーンてえ笑顔が大好物でしたの。
そんなかしげくんを、一年経ったかし子ちゃん見ながら思い出してました。
るいちゃんを前にしたかしちゃんは、なんだかオトコマエモードだし(笑)。お衣装替えの後はグレー地のピンストライプスーツに白のサテンブラウスで、これもなんだか男役ちっくだし(笑)。
や、もうかしげでもかし子でも……好きです(ぽっ)。
これからもたくさんのかしちゃんに会えて、こんな美しい記憶が積み重なっていくのだ。
これからも。
貴城けいが宝塚を卒業してから、ちょうど一年が経った。
前日の2月11日は、「卒業記念日前夜祭」のお茶会が、名古屋で開かれた。
かし子ちゃんに会いにいってまいりました。
場内が暗くなる。かしちゃんの登場だ。
そのとき、あのイントロが流れた。
風雲に生きる。
メロディを聞いただけで、涙が流れてくる。
劇場で聞いて聞いて、泣くだけ泣いたこの曲。そしてかしちゃんが退団してからは、映像すらまともに見たこともない。
風雲に生きるは、あのときの竜馬は、あのときのあの場所にしか存在していないのだから。映像に、なんの意味があるのだと。
この曲を聞くこと自体、私にとってほぼ一年ぶりになる。
その風雲に生きるを、一年後のかしちゃんが歌いながら、私たちの前に現われた。
紋付袴姿で、髪を一本に結い、手には一枝の桜を持って。
かしちゃんは、もう男役の貴城けいではない。
いまさら私たちに、男役を見せているわけではない。
かしちゃんは今のかし子ちゃんとして、私たちと同じ目線に立ってあの日を振り返っているのだと。私はそう感じた。
あの日に戻るのではなく、今の場所からあの日を想う。
かしちゃんも、私たちも。
あの日。一年前の2月12日。
哀しかったし、苦しかったし、辛かったし、男役の貴城けいとお別れしたくなくて痙攣を起こすぐらい泣いた。
だが、それ以上に、流した涙の量よりたくさんのしあわせを、あの日の舞台からもらった。
あの日のしあわせは、私の一生の誇りとなる大きなものだ。
今、かしちゃんが前に進んでくれるから、私も顔を上げて歩いてゆける。
宝塚というのは虚構の世界で、男役という形ももちろん虚構でしかない。
私はその虚構の形を愛している。つくり込まれた嘘を愛している。
卒業……その殻を脱いだらもう、その人は別の生きものなのだと。そう考えていたし、今もその考えは変わらない。
なぜ、貴城けいを愛し続けているのか、いられるのか、それが自分でも分からない。
宝塚時代の楽屋写真の数々がスライドで映され、明るい笑いの中で思い出話が続く。
そして、ゲストに登場したのは、るいちゃん。
かしちゃんは最近、るいちゃんに聞いたそうだ。
「彼氏がオンナになったって、どんな気分?」
るいちゃんは、こう答えたという。
「かしさんは、かしさんですから」
そうか。
かしちゃんは、かしちゃんなんだ。
かしげくんでも、かし子ちゃんでも、それはかしちゃんなんだ。
私は虚構の中の男役貴城けいとともに、人間貴城けいに惹かれたのだろう。
私が宝塚のかしちゃんを真剣に見つめていたのは、宙組に来てくれたわずか8ヶ月間のことでしかない。
そのわずかの間に、男役としての貴城けいのすばらしさとともに、かしちゃんが見せてくれた人間性に惹かれたのだ。
人を包む懐。人を愛する真心。人を思う優しさ。その優しさの奥の強さ。そしてその強さを支える努力。
かしちゃんの舞台が私に教えてくれた、たくさんのたくさんのこと。
男役の殻を脱いで一人の女優となっても、かしちゃんはかしちゃんだ。なにも変わらない。
かしちゃんがかしちゃんでいてくれるから、私はこんなにもかしちゃんに惹かれるのだ。
いままでも、これからも。
かしちゃん、それから会場に駆けつけてくれたるいちゃん。
ご卒業一周年おめでとうございます。
かしちゃんが「宙組に行けてしあわせだった」と言ってくれたことが嬉しかった。
もっとしあわせだったのは、かしちゃんが来てくれた宙組と宙組のファンなんだよ。
あ、風雲に生きるなんですけどね。
♪今 嵐の雄叫びを~~~ 聞ィィけ~♪のとこ。
「雄叫びを」のあとにキメ顔かますのがデフォで、このキメ顔もさることながら、キメる前にお顔振って溜めるときの「ぶっ!」てゆー表情がたまらんツボだったんですわ。
かし子ちゃん、さすがに「ぶっ!」は、やってくれんかった(笑)。
間奏も踊らないで目えくるくるさせながら聞いてた(笑)。あたしが代わりに踊ったろかと思った(それ大迷惑)。
扇を揚げて返すとこのカッキーンてえ笑顔が大好物でしたの。
そんなかしげくんを、一年経ったかし子ちゃん見ながら思い出してました。
るいちゃんを前にしたかしちゃんは、なんだかオトコマエモードだし(笑)。お衣装替えの後はグレー地のピンストライプスーツに白のサテンブラウスで、これもなんだか男役ちっくだし(笑)。
や、もうかしげでもかし子でも……好きです(ぽっ)。
これからもたくさんのかしちゃんに会えて、こんな美しい記憶が積み重なっていくのだ。
これからも。
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