誇り@『黎明の風~侍ジェントルマン 白洲次郎の挑戦~』東宝千秋楽・その1
2008年5月18日 宙組誇り。
この公演に対する思いを一言で表すとすれば、それは「誇り」だ。
この作品を観ることができた誇り。
この作品の祈りを感じられた誇り。
この作品を宙組が伝えることができた誇り。
すばらしい作品にめぐり合えたと、感謝している。
今は。
最初はいろいろなことに戸惑った。
なぜ、こんな近くて生々しい時代を、宝塚で取り上げるのか。
なぜ、こんなデリケートな問題に、宝塚が踏み込むのか。
私は夢を見に劇場に行くのだ。ここでは美しい夢だけを見せてくれればいいではないか。
ムラの初日からしばらくはその思いが消えず、入り込めなかったのだ。
そのうち、気持ちが変わってきた。
こんな近くて生々しい時代だから、宝塚で取り上げるべきなのではないか。
こんなデリケートな問題でも、宝塚なら踏み込めるのではないか。
宝塚だからこそ、日本人が知っておかねばならないこと、この先に伝えていかなければならないことを、愛と夢のオブラートに包んで発信できる。
オブラートは優しく溶け、そしてその中に包まれた「祈り」は、必ず私たちの中にずっしりと残る。
むしろ、これは宝塚にしかできない、宝塚の重要な使命であると。
石田先生の作品は「宝塚テキではない」とも言われていて、好き嫌いが分かれるところかもしれない。
だが石田先生は、これを「宝塚で」演りたかったのだと思う。
今の私たちが生きる礎を作ってくれた、近い先人たちの魂を伝える方法として、あえてこの「宝塚を」選んだのだと。
公演が進むにつれ私の意識が変わってきたのは、出演者たちの意識が変わってきたということも大きかったと思う。
おそらく最初は手探りの状態で。この作品が受け入れられるのか、彼ら自身が不安だったのではないだろうか。
戦争など、親すらも経験していない世代も多いはずだ。
自分たちの宝塚の世界で、思いが観客に伝わるのかと。
だんだん手応えを感じてきたのか、舞台はどんどん変わっていった。
出演者たちの、この時代に対する真摯な思い。それを伝えるべく、戦後日本の黎明のときに立つ人間そのものとして、彼らは舞台の上でまさに生きていた。
先人たちへの、祈り。
祈りは、通じるのだ。
毎日が真剣勝負だったはずだ。
観るほうですら、一回一回にぐったりと消耗したから。
客席で泣きながら、だが、また彼らに会いたいと。
ヒリヒリするような気持ちで、そう願った。
正直、東宝に来てからも、最初の頃は空席があった。
戦後日本と言われても、それは夢を見たいと思っている宝塚ファン心理をそそりにくい題材でもあるだろう。
だが日に日に客席は埋まり、最後は立ち見がずらっと並ぶ盛況となった。サバキ待ちも連日たくさんの人が立っていた。
「一度ぐらい観ておこう」というつもりだった方が、「すばらしい作品だから」と普段宝塚を観ない層のご家族やご友人も誘って、二度三度と劇場に足を運んでくださった。そういった話もあちこちで聞いた。
たとえば、酔っぱらい@きみちゃんという役がある。
場面としては一場面。きみちゃんの怪演がウケて、笑いが起こっていた箇所だ。
だが、戦争に負けた痛みと苦しみを背負い、それを酒を呑むことでしか解決できない、これはこの時代の哀しい人間の姿なのだ。
たとえば、背広の男@珠洲さん、ビジネスガール@桜子ちゃんという役がある。
ここも場面としては一場面。日替わりアドリブで、毎回楽しませてもらった箇所だ。
だが、敗戦国の惨めさから、朝鮮戦争の特需景気でやっとささやかな喜びを感じることができた、これはこの時代を必死に生きる庶民たちの姿なのだ。
それを踏まえた上での芝居。一人一人の、祈り。
この作品を観ることができた誇り。
この作品の祈りを感じられた誇り。
この作品を宙組が伝えることができた誇り。
それらを今、千秋楽を観終えた私は、心からしあわせに感じる。
この公演に対する思いを一言で表すとすれば、それは「誇り」だ。
この作品を観ることができた誇り。
この作品の祈りを感じられた誇り。
この作品を宙組が伝えることができた誇り。
すばらしい作品にめぐり合えたと、感謝している。
今は。
最初はいろいろなことに戸惑った。
なぜ、こんな近くて生々しい時代を、宝塚で取り上げるのか。
なぜ、こんなデリケートな問題に、宝塚が踏み込むのか。
私は夢を見に劇場に行くのだ。ここでは美しい夢だけを見せてくれればいいではないか。
ムラの初日からしばらくはその思いが消えず、入り込めなかったのだ。
そのうち、気持ちが変わってきた。
こんな近くて生々しい時代だから、宝塚で取り上げるべきなのではないか。
こんなデリケートな問題でも、宝塚なら踏み込めるのではないか。
宝塚だからこそ、日本人が知っておかねばならないこと、この先に伝えていかなければならないことを、愛と夢のオブラートに包んで発信できる。
オブラートは優しく溶け、そしてその中に包まれた「祈り」は、必ず私たちの中にずっしりと残る。
むしろ、これは宝塚にしかできない、宝塚の重要な使命であると。
石田先生の作品は「宝塚テキではない」とも言われていて、好き嫌いが分かれるところかもしれない。
だが石田先生は、これを「宝塚で」演りたかったのだと思う。
今の私たちが生きる礎を作ってくれた、近い先人たちの魂を伝える方法として、あえてこの「宝塚を」選んだのだと。
公演が進むにつれ私の意識が変わってきたのは、出演者たちの意識が変わってきたということも大きかったと思う。
おそらく最初は手探りの状態で。この作品が受け入れられるのか、彼ら自身が不安だったのではないだろうか。
戦争など、親すらも経験していない世代も多いはずだ。
自分たちの宝塚の世界で、思いが観客に伝わるのかと。
だんだん手応えを感じてきたのか、舞台はどんどん変わっていった。
出演者たちの、この時代に対する真摯な思い。それを伝えるべく、戦後日本の黎明のときに立つ人間そのものとして、彼らは舞台の上でまさに生きていた。
先人たちへの、祈り。
祈りは、通じるのだ。
毎日が真剣勝負だったはずだ。
観るほうですら、一回一回にぐったりと消耗したから。
客席で泣きながら、だが、また彼らに会いたいと。
ヒリヒリするような気持ちで、そう願った。
正直、東宝に来てからも、最初の頃は空席があった。
戦後日本と言われても、それは夢を見たいと思っている宝塚ファン心理をそそりにくい題材でもあるだろう。
だが日に日に客席は埋まり、最後は立ち見がずらっと並ぶ盛況となった。サバキ待ちも連日たくさんの人が立っていた。
「一度ぐらい観ておこう」というつもりだった方が、「すばらしい作品だから」と普段宝塚を観ない層のご家族やご友人も誘って、二度三度と劇場に足を運んでくださった。そういった話もあちこちで聞いた。
たとえば、酔っぱらい@きみちゃんという役がある。
場面としては一場面。きみちゃんの怪演がウケて、笑いが起こっていた箇所だ。
だが、戦争に負けた痛みと苦しみを背負い、それを酒を呑むことでしか解決できない、これはこの時代の哀しい人間の姿なのだ。
たとえば、背広の男@珠洲さん、ビジネスガール@桜子ちゃんという役がある。
ここも場面としては一場面。日替わりアドリブで、毎回楽しませてもらった箇所だ。
だが、敗戦国の惨めさから、朝鮮戦争の特需景気でやっとささやかな喜びを感じることができた、これはこの時代を必死に生きる庶民たちの姿なのだ。
それを踏まえた上での芝居。一人一人の、祈り。
この作品を観ることができた誇り。
この作品の祈りを感じられた誇り。
この作品を宙組が伝えることができた誇り。
それらを今、千秋楽を観終えた私は、心からしあわせに感じる。
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