どうやら私は、春風弥里という人の力量を見くびっていたらしい。



初日を観たあと、私は「みーちゃん(とアリスちゃん)は触れるとネタバレするので後日」と、ここに書いた。
実は、それ以前の問題として、触れられなかった。
みーちゃんの芝居が、役に足りていないと感じたからだ。

正直言って、「小さい」人に見えた。器の小さい人間に。
これが脇の役であるのならば、そういう作り方も、またあるだろうとも思った。
だが、主役に対峙しうる人間には見えない。

対峙するようには、元々本が書かれていないのだが。役としての書き込みは、殆どされていない。
それでも、これがはったりの利くスターさんなら、その外連だけで押せてしまえるのではないか。
そうでなければ、この役を補えるのは学年……経験しかないのではないか。

みーちゃん、まだ研8だったんだ。しみじみとそれを思った。
若いんだんなあ。
こんな大人の役、実は演ったことないんだよなあ。
新公で爺さん演るのとは訳が違うんだなあ。

ダンサーというカテゴリーの人たちの、ダンスは能弁だ。踊るみーちゃんは、いくらでも大人になれるし、身体から色香を零れさせる。
芝居も達者な人だから、それぐらい簡単にできると思っていた。

できていない。
……少なくとも私には、できていないと感じられた。

いざ「大人」という看板の役を与えられると、こんなにもできないものなのかと愕然とした。
若さが露呈して、余裕の無い人間に見える。その余裕の無さが、器の小ささに繋がる。
年齢も階級も見えてこない。これでは、その辺にいる、ただの嫉妬深いお兄ちゃんだ。


それがねっ。

翌日の公演観たら、まるで違ってたのおおおおおお。

もうねっ、別人だったのおおおおおおおお。

いやああああああんカコイイカコイイカコイイカコイイカコイイカコイイ!!!


みーちゃん、初日はどれだけ緊張していたのだろうか。ガチガチで、余裕どころの話ではなかったのだと思う。

余裕さえ出れば、こうも違うのかと。ここまで違うのかと。


そして。
ここまで、いい男になれるものなのかと。



冷徹に見せかけた仮面の下で、激しい感情が渦巻いている。
恋に狂い、時代の波に飲み込まれてゆくのは、時の権力者であるはずのゲオルグ・シュタイネルのほうかもしれない。


彼の哀しい目の色に、私が恋に狂わされそうです(はあと)(笑)

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