私は決して、Je Chanteを名作だとは思っていないんですが。

まあ、実は酷い話だよね(笑)。
すべての出来事が、断片しか描かれていない。よく考えたら、なんでそうなっていくんだか、全然繋がってない。

なぜ、シャルル@カチャとジジ@アリスちゃんが恋をしたのか、なぜ、シャルルとジョニー@いっちゃんはスターになったのか、なぜ、突然(笑)ゲオルグ@みーちゃんが現れたのか。

私たちはヅカファンだから。「断片」を与えられれば、「お約束」で勝手に話を繋げられる。
その辺の演出は、上手いと思うの。何かを「観た」気にはさせられたもの(笑)。
そんな宝塚らしいお約束に満ちた話を、宝塚のスターの魅力で見せる、観る。
そういう生徒さんへの愛に満ちた、しあわせな空間でした。あのバウは。

ゲオルグという人に、魅せられました。
前に
>誰が演ってもかっこよく見える、まあ儲け役ではあると思います。
>ただ、誰が演ってもあそこまでかっこよくなるかは分かんない(笑)。
って書いたんだけど。
シャルルがカチャならでは、カチャの色あってこその主役であるのに対して、分かりやすく敵役というかね。男役として、とりあえずかっこよく見えるような役ではあるんですよ、ゲオルグは。形としては。

ただ、ほんとうに「誰が演ってもあそこまでかっこよくなるかは分かんない」と思う。
みーちゃんだからこそ、あそこまで描かれていない役を「上げる」ことができたんじゃないかなあ、と。

芝居の巧さには、定評がある人です。みーちゃんは。
ゲオルグ的な役は、ふつーに考えたら嵌り役であろうと思わせる、濃い芝居のできる人です。
でも、私が初日に「足りない」と感じたように、あの学年であの役を演るのは、実は大変な苦労を伴っていたのではないかと思うのです。
そのあたり、どういうふうに役を考えて創っていったのか。少ない台詞の裏には、どんな感情が籠められているのか。そんな話を聞きたくて、みーちゃんのお茶会にいってきました。

で。
分っかんねーよっ(爆)。

みーちゃんは大変に日本語が不自由な人で(笑)、でもとても真摯な人で、一生懸命役についてのお話をしてくれるのですが。
何が言いたいのかちーとも分からんかった(笑)。
「えーとえーと、なんてゆーか……えーとえーと、ですからこのときゲオルグは……ですから、、、……、、、このときは、、、えーと、、、……なんですよね」


をい終わっちゃったよ(笑)。



すごいなあ、と思ったんです。

言葉になんかできないんですよ。

考えて、考えて、みーちゃんがどれだけ役を考えて考えて、たくさんの思いを籠めて演じているか。

頭の中に溢れすぎるその感情は、簡単に言葉なんかで表すことができないんです。そんなものでは追いつかないんです。

そして。役者、ですから。説明する言葉なんか、必要ないんです。
「思い」を演じれば、身体から「言葉」を発すれば、それでいいんです。

なんでも「言葉」にしたがる私は、やはり一般人なわけで。あの人たちはそれを超えた世界に生きているんだなあ、と。

みーちゃんの不自由な日本語(クドい)によって、ゲオルグという人に、さらに魅せられてしまったわけです。

どれだけ真摯な思いを籠めて演じているかは、みーちゃんの真摯で不自由な日本語(ほんとクドい)から、充分すぎるほど伝わってきましたから。そして、舞台からもっともっと伝わってきましたから。それがすべてですから。


春風弥里の創りあげた、ゲオルグ・シュタイネルという男に愛と尊敬を籠めて、私の言葉を(続く)。

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