まさかの号泣@『まさかのChange?!』シアタークリエ
2010年7月14日 大和悠河大和悠河・主演、玉野和紀・作・演出・振付、『まさかのChange?!』観てまいりました。
前作『戯伝写楽』が見事なまでのアテガキによる出色の作品で、大和さんの持つこの世ならざるものの力に、魂を抜かれる思いでした。こうなると「ここまで究極の大和悠河をえぐり出すような作品に出会ってしまっては、この先これ以上の作品に彼女がめぐり合うことはできないのではないだろうか」との疑念すら、頭を掠めたものです。
それでもいいのかもしれないけど。でも、『戯伝写楽』に出会うのが早すぎたことは、果たして大和さんにとって幸なのか不幸なのか。そう思ってしまうぐらい、あの作品には、そしておせいには、震撼させられたわけです。
その次作にあたる『まさかのChange?!』
玉野さんの作品は何作か拝見していて、そのおもしろさは多少なりとも分かっているつもりです。ただ、再々演という『Change?!』の知識はなく、ポスターを見て「なんちゃって男役みたいだなあ」と、最初は若干気乗りがしなかったのも事実です(笑)。
パンツスーツでボーイッシュな女性を演じれば、元男役としては世間も食いつきやすいだろう。でも女優である以上、私は大和さんの「なんちゃって男役」ではなく「女性」を見たいんだよ、と。
さらに調べないからねー私(笑)。下調べとか、いつもしたことない。面倒だし。舞台見ればいいじゃん派です。
どんな話だか分かっちゃいないまま、シアタークリエへ。『まさかのChange?!』って言うぐらいだから、Change……入れ替わり物だろう程度の予想は、いくらなんでもつきましたが。
で。
まさかの号泣(笑)。
大和さんに昔の男役のカゲを見たから、ではない。
懐かしさに泣いたわけではない。男役ばりのウィンクに殺られたからでもない(笑)。
パンツスーツだから、ボーイッシュで一見男役を彷彿させるような役だから。
だから却って、今の彼女が女性として自由な芝居をしているのが、よく分かった。
自由だった。ほんとうに自由だった。
自由で生き生きとした女性として、舞台の上に在った。そのことに、ただただ泣けた。
大和さんて、右目をぐわっと見開いて、そのとき左目がちっちゃくなるお馴染みの顔があるじゃないですか。昔、ショーなんかで、キメるところでしょっちゅうやってた。
顔の癖なんだと思う、それは「かわいいタニちゃん」のうちはよかったけど、立場が上がるにつれ叩かれもしたし、だんだんやらなくなって。最後は出なくなってた、あの顔。
あれを自然にやっていた。何回も、何回も。それを見て、とても泣けた。
出なくなってたんじゃないんだなあ、出ないように抑えてたんだなあ、あの顔は。
そして彼女が、宙組トップスター大和悠河が抑えていたものは、もちろん顔の癖だけなんかじゃない。
いろんなものを抑えて抑えて、我慢して、その上でものすごくたくさんの努力をして。
いろんなものを、大きなものを、背負って。
こんな華奢な女性の背中に、どれだけのものが乗っかっていたんだろう。
もちろん誰しもが頂点を目指して努力しているものだし、そこにたどり着いた彼女は幸運だった。それはたしかだ。
それでも、彼女が背負っていたものの重さを思わずにはいられなかった。
自由な、ほんとうに自由な大和さんを見て。
ストーリー自体は、チェンジ物の王道です(笑)。ミュージカル劇団の女性演出家である西園寺@大和さんが、掃除しか能のない冴えない男性劇団員安田くんと入れ替わっちゃう。感電で(笑)。
すんごいありがちでベタな話だけど、玉野さん色の笑いで味付けされ、楽しくテンポよく進んでいく。いや私は笑うより大和さん見ちゃあ泣くのに忙しかったから(笑)、その辺割愛。
最後に、大和さんが歌うんですよ。ほんとうの私ってなに、って。
皆の憧れの人、西園寺。それは昔からずっとそうだった。皆が彼女に憧れ、そして彼女自身もそれを演じてきた。
でも、私は私でしかない。どんな姿をしていても、ほんとうの私は一人しかいない。
大和さんの歌、全然変わってないの。
退団後は「男役としての無理な声色を出さなくてよくなったから、タニ歌は上手く(マシに)なった」というような言い方を、よくされているけど。
いや、関係ないよ。
全然変わってないよ。
すばらしいのよ。
タニ歌は、昔も、今も。
真っ直ぐに、一直線に人の心に突き刺さるその歌の力は、昔も今も本質的に全然変わってない。
歌唱力って、なに?
人の心を動かす、人の心を揺さぶる、歌の「力」。それが歌唱「力」だ。
なんという説得力なのだろう、この人の歌って。タニ歌の真髄を、久しぶりに聞いた。
こういう魂に訴えかけるような歌を歌わせたら、その歌唱「力」に於いて、大和さんの右に出るものはいないんじゃないかなあ(本気)。
いや右にも左にも前にも後ろにも人がいない、「歌唱」とは違うレベルの世界での話、という気もするが(笑)。
私は、いわゆる「実力」という言葉が好きではない。
「実力」なんて不確かなものは、信用したことがない。
もちろん「実力があるから魅力的」と誰かのことを好きになったことは、一度もない。
アンチたちには「実力がない」と言う不確かな言い方で叩かれていた大和悠河の舞台は、昔も今も、人の心を揺さぶり続けている。
それが事実として、ある。それがすべてだ。
技術的な言い方をすれば、芝居は下手だと思いました、大和さん。普通に台詞下手だ(をいっ!!)
男役の台詞は型で創るからそれはそれで済んだけど、女優としての特にこういう現代物のナチュラルな台詞は、そーとー下手だ。
で、それがなんだと言うのですか?(素)
なにか問題でも?
えりこちゃん、えらいかわいかったわー。女子で、「えりちゃん」で(笑)。
えりちゃんもアテガキかと思えるぐらい(だから再々演です)、ほわんとした彼女のよさが出ていて、とにかくかわいかった。
お向かいの東宝宙組が1回公演だったこの日は、多くの組子たちが客席に駆けつけておりました。
蘭とむちゃん、みっちゃん、ちやちゃん、まさこちゃん、えっちゃん、アリスちゃん、みーちゃん、大ちゃん、ちーちゃん、カチャ、せいこちゃん、たらちゃん、カイちゃん。
キミたちリアクションデカいよ!笑い声デカいよ!(笑)特に「カモ!」ね(爆)。
大和さんのウィンクをもらってきゃあきゃあ喜ぶ彼らのさまは、ええ、ただの熱狂的な大和ファンでしたわね(微笑)。
前作『戯伝写楽』が見事なまでのアテガキによる出色の作品で、大和さんの持つこの世ならざるものの力に、魂を抜かれる思いでした。こうなると「ここまで究極の大和悠河をえぐり出すような作品に出会ってしまっては、この先これ以上の作品に彼女がめぐり合うことはできないのではないだろうか」との疑念すら、頭を掠めたものです。
それでもいいのかもしれないけど。でも、『戯伝写楽』に出会うのが早すぎたことは、果たして大和さんにとって幸なのか不幸なのか。そう思ってしまうぐらい、あの作品には、そしておせいには、震撼させられたわけです。
その次作にあたる『まさかのChange?!』
玉野さんの作品は何作か拝見していて、そのおもしろさは多少なりとも分かっているつもりです。ただ、再々演という『Change?!』の知識はなく、ポスターを見て「なんちゃって男役みたいだなあ」と、最初は若干気乗りがしなかったのも事実です(笑)。
パンツスーツでボーイッシュな女性を演じれば、元男役としては世間も食いつきやすいだろう。でも女優である以上、私は大和さんの「なんちゃって男役」ではなく「女性」を見たいんだよ、と。
さらに調べないからねー私(笑)。下調べとか、いつもしたことない。面倒だし。舞台見ればいいじゃん派です。
どんな話だか分かっちゃいないまま、シアタークリエへ。『まさかのChange?!』って言うぐらいだから、Change……入れ替わり物だろう程度の予想は、いくらなんでもつきましたが。
で。
まさかの号泣(笑)。
大和さんに昔の男役のカゲを見たから、ではない。
懐かしさに泣いたわけではない。男役ばりのウィンクに殺られたからでもない(笑)。
パンツスーツだから、ボーイッシュで一見男役を彷彿させるような役だから。
だから却って、今の彼女が女性として自由な芝居をしているのが、よく分かった。
自由だった。ほんとうに自由だった。
自由で生き生きとした女性として、舞台の上に在った。そのことに、ただただ泣けた。
大和さんて、右目をぐわっと見開いて、そのとき左目がちっちゃくなるお馴染みの顔があるじゃないですか。昔、ショーなんかで、キメるところでしょっちゅうやってた。
顔の癖なんだと思う、それは「かわいいタニちゃん」のうちはよかったけど、立場が上がるにつれ叩かれもしたし、だんだんやらなくなって。最後は出なくなってた、あの顔。
あれを自然にやっていた。何回も、何回も。それを見て、とても泣けた。
出なくなってたんじゃないんだなあ、出ないように抑えてたんだなあ、あの顔は。
そして彼女が、宙組トップスター大和悠河が抑えていたものは、もちろん顔の癖だけなんかじゃない。
いろんなものを抑えて抑えて、我慢して、その上でものすごくたくさんの努力をして。
いろんなものを、大きなものを、背負って。
こんな華奢な女性の背中に、どれだけのものが乗っかっていたんだろう。
もちろん誰しもが頂点を目指して努力しているものだし、そこにたどり着いた彼女は幸運だった。それはたしかだ。
それでも、彼女が背負っていたものの重さを思わずにはいられなかった。
自由な、ほんとうに自由な大和さんを見て。
ストーリー自体は、チェンジ物の王道です(笑)。ミュージカル劇団の女性演出家である西園寺@大和さんが、掃除しか能のない冴えない男性劇団員安田くんと入れ替わっちゃう。感電で(笑)。
すんごいありがちでベタな話だけど、玉野さん色の笑いで味付けされ、楽しくテンポよく進んでいく。いや私は笑うより大和さん見ちゃあ泣くのに忙しかったから(笑)、その辺割愛。
最後に、大和さんが歌うんですよ。ほんとうの私ってなに、って。
皆の憧れの人、西園寺。それは昔からずっとそうだった。皆が彼女に憧れ、そして彼女自身もそれを演じてきた。
でも、私は私でしかない。どんな姿をしていても、ほんとうの私は一人しかいない。
大和さんの歌、全然変わってないの。
退団後は「男役としての無理な声色を出さなくてよくなったから、タニ歌は上手く(マシに)なった」というような言い方を、よくされているけど。
いや、関係ないよ。
全然変わってないよ。
すばらしいのよ。
タニ歌は、昔も、今も。
真っ直ぐに、一直線に人の心に突き刺さるその歌の力は、昔も今も本質的に全然変わってない。
歌唱力って、なに?
人の心を動かす、人の心を揺さぶる、歌の「力」。それが歌唱「力」だ。
なんという説得力なのだろう、この人の歌って。タニ歌の真髄を、久しぶりに聞いた。
こういう魂に訴えかけるような歌を歌わせたら、その歌唱「力」に於いて、大和さんの右に出るものはいないんじゃないかなあ(本気)。
いや右にも左にも前にも後ろにも人がいない、「歌唱」とは違うレベルの世界での話、という気もするが(笑)。
私は、いわゆる「実力」という言葉が好きではない。
「実力」なんて不確かなものは、信用したことがない。
もちろん「実力があるから魅力的」と誰かのことを好きになったことは、一度もない。
アンチたちには「実力がない」と言う不確かな言い方で叩かれていた大和悠河の舞台は、昔も今も、人の心を揺さぶり続けている。
それが事実として、ある。それがすべてだ。
技術的な言い方をすれば、芝居は下手だと思いました、大和さん。普通に台詞下手だ(をいっ!!)
男役の台詞は型で創るからそれはそれで済んだけど、女優としての特にこういう現代物のナチュラルな台詞は、そーとー下手だ。
で、それがなんだと言うのですか?(素)
なにか問題でも?
えりこちゃん、えらいかわいかったわー。女子で、「えりちゃん」で(笑)。
えりちゃんもアテガキかと思えるぐらい(だから再々演です)、ほわんとした彼女のよさが出ていて、とにかくかわいかった。
お向かいの東宝宙組が1回公演だったこの日は、多くの組子たちが客席に駆けつけておりました。
蘭とむちゃん、みっちゃん、ちやちゃん、まさこちゃん、えっちゃん、アリスちゃん、みーちゃん、大ちゃん、ちーちゃん、カチャ、せいこちゃん、たらちゃん、カイちゃん。
キミたちリアクションデカいよ!笑い声デカいよ!(笑)特に「カモ!」ね(爆)。
大和さんのウィンクをもらってきゃあきゃあ喜ぶ彼らのさまは、ええ、ただの熱狂的な大和ファンでしたわね(微笑)。
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