震災の中で。
2011年3月25日 宙組バウ・DC・青年館東北地方太平洋沖地震にて被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
犠牲となられました皆様とご遺族の皆様に深くお悔やみ申し上げます。
私はそのとき関東にいました。
激しい揺れ、そして交通機関の麻痺による多少の困難はありました。
その後、日々あきらかになっていくこの震災の被害の大きさ、また私事ですが東北の友人知人たちの被災、関東でも続く余震の恐怖や停電のストレス。私に降りかかるそんなものは小さなことでしかないけれど……でも、いろいろなものに怯え、心が折れかけていました。
その中で私は、ほぼ当初の予定通りに『ヴァレンチノ』ドラマシティ公演の遠征を決行しました。震災前の初日と、震災後の中日、千秋楽にかけて。
この非常時になにを呑気な、と怒りを感じられるかたがたくさんいらっしゃるであろうことは承知しています。現実に被災されている皆様が、それどころではない苦しい状況であろうことも理解しているつもりです。当然、震災後の遠征を断念した友人も多数いました。自分自身も今行くべきときなのかと、そのことを自問自答しながらの重い遠征でもありました。
それでも、私の折れかけた心にはタカラヅカが必要だったのです。
私の、です。
非常時に、真っ先に切り捨てられてしかるべき娯楽、なんです。たかが「タカラヅカ」ですから。
この娯楽が被災者の皆様を直接的な意味で救えるとは、私も到底思いません。
『ヴァレンチノ』の東京公演は中止になりました。雪組東宝公演は一部中止になり、また花組東宝公演も日程短縮されています。
それが当然でしょう。
それでも、私の心を救ってくれたのはタカラヅカだった。
生徒さんたち自身も、「舞台に立つ意味」を自問自答しながらの、苦しい公演だったのではないかと思います。
舞台をやると決められた以上、彼女たちは心にどんな葛藤を抱えていようが、笑顔でそこに立つ。
その姿に、私の凍っていた心が融かされた。ガチガチだった感情が、震災以来はじめて真っすぐに解き放たれた。
たかが娯楽、たかがタカラヅカでしかないものが持つ力の大きさを、あらためて感じさせられました。
少なくとも、私の心は救われたのです。
あの場に行けた、今の状況で恵まれた人間が言う戯言でしかありませんが。
それでも。
タカラヅカに、宙組に、感謝しています。
犠牲となられました皆様とご遺族の皆様に深くお悔やみ申し上げます。
私はそのとき関東にいました。
激しい揺れ、そして交通機関の麻痺による多少の困難はありました。
その後、日々あきらかになっていくこの震災の被害の大きさ、また私事ですが東北の友人知人たちの被災、関東でも続く余震の恐怖や停電のストレス。私に降りかかるそんなものは小さなことでしかないけれど……でも、いろいろなものに怯え、心が折れかけていました。
その中で私は、ほぼ当初の予定通りに『ヴァレンチノ』ドラマシティ公演の遠征を決行しました。震災前の初日と、震災後の中日、千秋楽にかけて。
この非常時になにを呑気な、と怒りを感じられるかたがたくさんいらっしゃるであろうことは承知しています。現実に被災されている皆様が、それどころではない苦しい状況であろうことも理解しているつもりです。当然、震災後の遠征を断念した友人も多数いました。自分自身も今行くべきときなのかと、そのことを自問自答しながらの重い遠征でもありました。
それでも、私の折れかけた心にはタカラヅカが必要だったのです。
私の、です。
非常時に、真っ先に切り捨てられてしかるべき娯楽、なんです。たかが「タカラヅカ」ですから。
この娯楽が被災者の皆様を直接的な意味で救えるとは、私も到底思いません。
『ヴァレンチノ』の東京公演は中止になりました。雪組東宝公演は一部中止になり、また花組東宝公演も日程短縮されています。
それが当然でしょう。
それでも、私の心を救ってくれたのはタカラヅカだった。
生徒さんたち自身も、「舞台に立つ意味」を自問自答しながらの、苦しい公演だったのではないかと思います。
舞台をやると決められた以上、彼女たちは心にどんな葛藤を抱えていようが、笑顔でそこに立つ。
その姿に、私の凍っていた心が融かされた。ガチガチだった感情が、震災以来はじめて真っすぐに解き放たれた。
たかが娯楽、たかがタカラヅカでしかないものが持つ力の大きさを、あらためて感じさせられました。
少なくとも、私の心は救われたのです。
あの場に行けた、今の状況で恵まれた人間が言う戯言でしかありませんが。
それでも。
タカラヅカに、宙組に、感謝しています。
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