ラストのアランチャを歌う大空さんが、ほんとうにいい顔してたんですよ……。
あたたかい、優しい優しい目で、端から組子ひとりひとりを見つめて。

もう、わたしに他の人を見る余裕を与えてくれませんでした。

大空さんの顔と、大空さんと目を合わせては溶けてゆく組子ひとりひとりの顔を、端からずっと見てました。

あれはルディーではなく、宙組トップ大空祐飛の顔だなあ、と。
組子ひとりひとりを愛し慈しむ、天のひとの顔だなあ、と。

それを客席で見ながらともに溶けてゆく、あの感覚……。

カタルシス。

抑圧されていた感情が解き放たれ、魂が浄化されていくような、日常では得難い不思議な、幸せな感覚でした。

エンタテイメントの持つ、意味。
タカラヅカが、タカラジェンヌが、存在する意味。

わたしはそれを最後に全身全霊で信じられました。



舞台から毎回幸せをもらっていました。
だけど、やはりそれはたかがエンタメ、娯楽でしかないということも、一方で痛感していたのは事実です。
わたしは客席にいる。いられる。でも……という感情です。
この幸福は、ここだけのものではないかという、答えなど無い疑問。
タカラヅカが好きだから、宙組が好きだから。
どこかで苦しかったんだと思います。ずっと。


大楽のご挨拶の中で、大空さんが「震災の現実の中で舞台に立っていいのだろうかという葛藤を、正直感じなかった日はない」といった言葉を仰っていました。
「そんなときにお客様に舞台に立つ意味を教えていただいた」、と。
正確な言葉は、スカステが流してくれていると思いますが。

震災後の舞台を全部見ているわけではもちろんありませんが、大空さんは毎回ご挨拶で震災のこと、被災者の皆様のことに触れ、「舞台で元気をお届けしたい」「笑顔になることを恐れないで」と、被災者や客席を励ます前向きな言葉を発信し続けてくれていました。
それが正直、つらく聞こえたときもあったのです。
やるほうもつらい部分があるのではないか。言うのはもっとつらい部分があるのではないか。
それでもタカラジェンヌは、笑顔でそう言うのだと。

わたし自身がその言葉をつらく感じることも……あったのです。

だからわたしは、あくまでもわたしはですが、「葛藤」という類の言葉を最初で最後、大楽に大空さんが出されたことに救われました。

それぞれの立場でいろいろな受けとめかたがあると思います。
エンタメの供給と需要をどう考えるかは、それぞれの立場で全く違うものになってくるはずです。

それでも舞台がある限り、タカラジェンヌはそこに立ち続け、笑顔を発信する。
たとえ葛藤があっても、それを見せずに。
プロである以上それが当たり前、と言われてしまうかもしれません。

わたしはいつもどこかで葛藤していたのかもしれません。現実から目を背けているのかもしれない、「ここにいる自分」に。
大空さんの言葉に、救われました。


舞台でもらったカタルシスを、そこでもらったものだけを信じていいんだと思う一方で、ご挨拶で救われる自分の感情が矛盾していることは分かっているんですけどね。



舞台の力を、わたしは信じます。

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