新公トークと新人公演@『美しき生涯』
2011年7月27日 宙組さっさと書こうと思っていたのに、前日になってしまった><
相変わらずの『強いぞ!』クオリティですこんばんは。
前に『美しき生涯』の新公トークの話を少し書かせていただきました。
「それは、愛と忠義のプレイボーイ☆彡(ではない)@『美しき生涯』新人公演トーク」http://juntan.diarynote.jp/201106281036318105/
このとき書き忘れていたことが、ひとつあったので。書くのが遅くなってしまいましたが。
琵琶湖の後の、三成@愛ちゃんと疾風@りくちゃんのやり取り。
疾風「筑前が関白になれば、あやつは、お市様に瓜二つのお茶々様を、必ず我がものにしようとする」
三成「無礼なことを申すな!殿にそのような下心はない!」
疾風「ある!」
三成「ない!」
「このときはどういったお気持ちなのですか?」と司会者に聞かれた愛ちゃん。
愛「こいつは何を馬鹿なことを言ってるんだ!そんなはずは絶対ないじゃないか!って思っています」
それは強く、強く、答えていました。
これを聞いて、ああ、大劇場の愛ちゃんの三成はそうだった……って、すごく思ったんです。
三成@ゆうひちゃんは、そのあたりがわたしには分からないのです。だって、ゆうひちゃんは大人だから。
殿に対する「忠義」、これはもう本物だと思います。しかし、その忠義を貫く清廉な心の中は、殿という人のそういったずるさや企みを、どこかで分かっているのではないだろうか。それでもなお、自分が主君と決めた人への忠義を持って、そういった感情は押し殺し、見えないふりをしているのではないか。
その上での、それでもの、一度主君と決めた人への「忠義」。
この時代の大人の男性として、その姿は正しくあると思います。
疾風@かなめちゃんの言葉の、ほんとうはすべてを分かっているのではないか。分かっていてもなお「忠義」を貫き、殿を否定される言葉は絶対に受け入れられないのではないか。
だって、ゆうひちゃんは大人だから。
それが三成の「忠義」であり「正義」なのではないかと、そんな風に感じられるのです。
後に秀吉@未沙さんが、三成に「茶々を我が元へ参らせよ」と命を下すときに、「利口なその方が、わしの計画に気づかなかったはずはない!」と言い放ちます。
最初から三成は、秀吉の思惑のすべてを呑んでいたのではないかとさえ思えます。琵琶湖の時代から。もしかしたら舞台では描かれていない、その昔から。
それでも、秀吉の多方面にわたる才覚に惹かれ、一度「忠義」を貫くと決めたからには、とことんついていく。
大人だからこそ、清濁併せ呑んで、秀吉への忠義を第一に考えられる人だと思えるのです。
だけど、三成@愛ちゃんは、琵琶湖ではほんとうに純粋に秀吉のことを信じていると、わたしには見えました。
若さゆえ。秀吉の中にある汚さは、三成の目には映っていない。このときは。
だから疾風@りくちゃんの言葉は、三成にとって青天の霹靂だったのではないかと。
「まさか、殿が!こいつは何を馬鹿なことを言っているんだ!」
新公トークのときの愛ちゃんの叫びは、心の奥底からの本気なのだと思います。
ゆうひちゃんの三成、愛ちゃんの三成、どっちが良い悪いという問題ではなく、大人の男であるゆうひちゃんと、どうやっても若さが前面に出る新公学年の愛ちゃんの、そこがそれぞれの個性なのでしょう。
そして三成という男は大人なくせに相当な厨二なので(笑)、若い愛ちゃんが演じることで、そのキャラに説得力が出る部分が、たしかにあるとも思いました。
そして「愛」のほうに情熱的にのめり込んでいくさまが、若さゆえに激しく、愛しい。
でも結局、三成は忠義を選ぶ。その苦しみには計り知れないものがあると、わたしにはそう感じられました。
そう。ひとつ特筆すると、わたし、秀吉@まっぷーが好きです。未沙さんという役者は大好きですが、今回はリアルに、イヤミで偉そうでそのくせ卑小なおっちゃん像を創られているので、ちょっとキっツい…結局、芝居が達者、上手すぎるということなのでしょうが。
まっぷーは普通に上手で、綺麗で、もちろんそれなりの貫禄は出そうとしているけれどまだまだ新公学年。そのあたりの塩梅が、むしろ秀吉をいい感じに見せていると思うのです。イケメン悪オヤジ、テキな。
そして、脇坂@モンチ。
いつも熱すぎるぐらい熱い芝居を見せてくれるモンチが、抑えた芝居で場を締めています。元々感情を出せない人が抑えても、それは印象に残るものにはならないではずですが、出せるモンチが抑えていることでその存在感が際立つものとなっていました。
表面上は抑えた演技の中に、内面に渦巻く感情が迸って、良い脇坂だったと思います。
東京の新人公演を明日に控え、それぞれの役がまた成長しているであろうことを、とても楽しみにしているジュンタさんなのでした。
相変わらずの『強いぞ!』クオリティですこんばんは。
前に『美しき生涯』の新公トークの話を少し書かせていただきました。
「それは、愛と忠義のプレイボーイ☆彡(ではない)@『美しき生涯』新人公演トーク」http://juntan.diarynote.jp/201106281036318105/
このとき書き忘れていたことが、ひとつあったので。書くのが遅くなってしまいましたが。
琵琶湖の後の、三成@愛ちゃんと疾風@りくちゃんのやり取り。
疾風「筑前が関白になれば、あやつは、お市様に瓜二つのお茶々様を、必ず我がものにしようとする」
三成「無礼なことを申すな!殿にそのような下心はない!」
疾風「ある!」
三成「ない!」
「このときはどういったお気持ちなのですか?」と司会者に聞かれた愛ちゃん。
愛「こいつは何を馬鹿なことを言ってるんだ!そんなはずは絶対ないじゃないか!って思っています」
それは強く、強く、答えていました。
これを聞いて、ああ、大劇場の愛ちゃんの三成はそうだった……って、すごく思ったんです。
三成@ゆうひちゃんは、そのあたりがわたしには分からないのです。だって、ゆうひちゃんは大人だから。
殿に対する「忠義」、これはもう本物だと思います。しかし、その忠義を貫く清廉な心の中は、殿という人のそういったずるさや企みを、どこかで分かっているのではないだろうか。それでもなお、自分が主君と決めた人への忠義を持って、そういった感情は押し殺し、見えないふりをしているのではないか。
その上での、それでもの、一度主君と決めた人への「忠義」。
この時代の大人の男性として、その姿は正しくあると思います。
疾風@かなめちゃんの言葉の、ほんとうはすべてを分かっているのではないか。分かっていてもなお「忠義」を貫き、殿を否定される言葉は絶対に受け入れられないのではないか。
だって、ゆうひちゃんは大人だから。
それが三成の「忠義」であり「正義」なのではないかと、そんな風に感じられるのです。
後に秀吉@未沙さんが、三成に「茶々を我が元へ参らせよ」と命を下すときに、「利口なその方が、わしの計画に気づかなかったはずはない!」と言い放ちます。
最初から三成は、秀吉の思惑のすべてを呑んでいたのではないかとさえ思えます。琵琶湖の時代から。もしかしたら舞台では描かれていない、その昔から。
それでも、秀吉の多方面にわたる才覚に惹かれ、一度「忠義」を貫くと決めたからには、とことんついていく。
大人だからこそ、清濁併せ呑んで、秀吉への忠義を第一に考えられる人だと思えるのです。
だけど、三成@愛ちゃんは、琵琶湖ではほんとうに純粋に秀吉のことを信じていると、わたしには見えました。
若さゆえ。秀吉の中にある汚さは、三成の目には映っていない。このときは。
だから疾風@りくちゃんの言葉は、三成にとって青天の霹靂だったのではないかと。
「まさか、殿が!こいつは何を馬鹿なことを言っているんだ!」
新公トークのときの愛ちゃんの叫びは、心の奥底からの本気なのだと思います。
ゆうひちゃんの三成、愛ちゃんの三成、どっちが良い悪いという問題ではなく、大人の男であるゆうひちゃんと、どうやっても若さが前面に出る新公学年の愛ちゃんの、そこがそれぞれの個性なのでしょう。
そして三成という男は大人なくせに相当な厨二なので(笑)、若い愛ちゃんが演じることで、そのキャラに説得力が出る部分が、たしかにあるとも思いました。
そして「愛」のほうに情熱的にのめり込んでいくさまが、若さゆえに激しく、愛しい。
でも結局、三成は忠義を選ぶ。その苦しみには計り知れないものがあると、わたしにはそう感じられました。
そう。ひとつ特筆すると、わたし、秀吉@まっぷーが好きです。未沙さんという役者は大好きですが、今回はリアルに、イヤミで偉そうでそのくせ卑小なおっちゃん像を創られているので、ちょっとキっツい…結局、芝居が達者、上手すぎるということなのでしょうが。
まっぷーは普通に上手で、綺麗で、もちろんそれなりの貫禄は出そうとしているけれどまだまだ新公学年。そのあたりの塩梅が、むしろ秀吉をいい感じに見せていると思うのです。イケメン悪オヤジ、テキな。
そして、脇坂@モンチ。
いつも熱すぎるぐらい熱い芝居を見せてくれるモンチが、抑えた芝居で場を締めています。元々感情を出せない人が抑えても、それは印象に残るものにはならないではずですが、出せるモンチが抑えていることでその存在感が際立つものとなっていました。
表面上は抑えた演技の中に、内面に渦巻く感情が迸って、良い脇坂だったと思います。
東京の新人公演を明日に控え、それぞれの役がまた成長しているであろうことを、とても楽しみにしているジュンタさんなのでした。
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