1人飛ばしちゃったけど、チーキ@みーちゃん。
役づくりのお話が個人的に興味深かったので、わたしの趣味と独断で←別にあげさせていただきます。
チーキ・ヴェイスも、実在の人物です。ドイツ人で、ほんとうに活動家、らしい。
でも、この脚本では活動家としての部分より、アンドレ(キャパ)@凰稀さんの友人である部分が主に描かれていましたよね。(活動、してないしな)(それも一幕だけだったけどな)(しーっ!)
他の登場人物はやはり世間的にもお馴染みであり、まずビジュアル面をどうするかという部分から入ったようなお話を皆さんされていましたが、みーちゃんの役づくりは「アンドレの友人として心を動かす」、そのことに焦点を当てていたようです。
みー「わたしはアンドレの幼馴染ということで、稽古場からアンドレ、凰稀さんのされるお稽古をずっと見て、ここはチーキだったらどうするんだろうと考えたり、出ていない場面もチーキとして心を動かしてお稽古をしてきました。
友人というのは、すごく似ている部分もあれば真逆なところもあったり、それを補いあったり支えあったりしているんじゃないかと思うので……。
アンドレのいいところや、やっぱり僕がいなきゃダメだなあと思ってるところとか(笑)。そういう部分をいつも考えて。
まあ地図も逆さに読むし(笑)、殆どアンドレに助けてもらっちゃってるんですけど。
でも、そういうふうに常に心を動かしながら、お稽古から毎日を大切にすごしてきました」
言葉自体は正確ではありませんがこういう主旨のお話で、これはお茶会でも同じことを言っていましたね。
「(公演の)2時間半、常にチーキで在りたい」と。
正直言って、チーキの出番は少ないです。顎が落ちるぐらいに←
だけど、だからと言って「出ていない」わけではない。
みーちゃんは「2時間半、常にチーキで在る」、チーキとしてアンドレと共に在ることに心を砕いてきたのだと思います、お稽古場でも、舞台の上でも。
その真摯に役に向き合う姿勢が、客席に、わたしたちに、結果として伝わった。
「舞台での2時間半、アンドレと共に常にチーキは在った」
チーキの変貌を見てきたわたしは、最終的にそう感じられました。
かなめ「お稽古場とかでもいつも、ぱって見たらみーちゃんが、じーーっ!ってこっち見てるんですよね(笑)」
あおい「見守ってたね」
かなめ「そう、見守ってくれてて、それで夜遅くまでお稽古してても絶対に一緒に残ってお稽古を見てくれたりして、ほんとうに支えられてました」
いや、いくらなんでも凰稀さんを支えはまさかできないと思いますが(笑)、でもみーちゃんはチーキとして、いつもアンドレの傍にいたかったんじゃないかと思うのです。
今回は小道具でカメラを使っています。
本番ではもちろん、それぞれに自分のカメラが与えられているのですが、お稽古中は皆で回して使っていたそうです。
そんなお稽古中のエピソード。
あおい「わたし、すごい気になってたことがあって、いまさら言うんですけど(笑)。
ロバートさんの出番が終わったとき、チーキとカメラを受け渡すでしょ」
みー「はい…」
あおい「そのときにもうチーキはね、本来なら舞台上に出てるよ!って位置に立って、ずっと待ってたんですよね(笑)」
多分、最後のゲルダの死=アンドレの慟哭~チーキの独白、の部分だと思われます。
場面が終わったアンドレのカメラを、チーキが次の自分の場面で使っていたようなのですが、どうやら前のめりになりすぎて舞台(と決められたお稽古場のライン)を乗り越えた位置まで出ばって(笑)毎回アンドレの慟哭を見守り、カメラを受け取っていたみたいです。
みー「(アンドレが)ゲルダ!わーっ!ってなってるから、つい…(前へ、前へと!笑)」
あおい「ちょっとチーキあなた今、舞台に出てますよね?っていうような真横で、ずっと待ってるから。でもまあ見守ってる姿が微笑ましかったので、何も言わなかったんだけど(笑)」
みー「今も(前のめりになって)舞台に出てっちゃいそうです(笑)」
あおい「それぐらい愛情深いんですよね」
かなめ「今もすごい分かるんです、袖からの視線が、あちちっ!」
凰稀さんが焦げるほどに見つめてるのかよ(笑)。
このチーキの「魂の独白」は、初日に違和感が拭えなかった場面でもあります。
二幕にチーキの出番が殆どない、つまりアンドレがスペインへ行ったのちのチーキとの関係性が、観客側には殆ど分からない。これは完全に脚本上の欠陥、書き込み不足だと思っているのですが、だから最後にいきなり彼に出てこられて話を総括されても、みたいな。口ポカーン、だった。
でも、それが繋がったんです。なぜチーキが今、それを語るのか、それは彼がアンドレの行動をずっと自分のこととして受け止めてきたからで、そんな彼のアンドレに対する深い思いが客席を支配するに至った。
それぐらい、アンドレの心に常にチーキは寄り添っていたし、それが分かるからこの台詞に納得がいき、感銘を受けた。最初の頃にあった違和感は、いつの間にか払拭されていたのです。
二時間半、常にチーキで在ったみーちゃんの思いが脚本を超えて、場面の持つ意味自体が変わっていったのだと思っています。
慟哭するアンドレに入り込みすぎてもらい泣きしてしまったのか、独白が鼻声?みたいな日もあったようですが(笑)。
そして、しつこいけど(笑)千秋楽は「やり過ぎ」だったと思ってる(笑)。台詞だけを聞いたら、あきらかにやり過ぎです。もう、気持ちを抑えられてないんだもん(笑)。
だけど、そんな前のめりなチーキがいとおしかった。たしかに台詞だけを取り上げたら、やり過ぎだったかもしれない。でもそれは、その奥にある彼の思いが、鮮やかに浮かび上がってくる言葉だった。深い、真の部分から出る心情が、鮮やかに描き出されていた。口跡や溜め、そんな形だけのものが前のめりじゃないんです。
前のめりな、あふれ出す思いを抑えきれない、その気持ちだけで純粋に心を動かした結果が台詞のやり過ぎだったとしても、それは決して間違ってないと思うの。
そこまでやるか!なんだけど、そこまでやってしまうぐらいこの役に魂を籠めていたのだと、そしてわたしはそんなみーちゃんが、とっても好き、なのかもしれません?(笑顔)
(いや前楽はさすがにちょっとズルっときたかな)(しーっ!)(いいの、そんなところもとってもみーちゃんだから)(なんでもいいのか)
稽古場からずっと持ち続けてきた「2時間半、常にチーキで在りたい」というみーちゃんの本気、それは日々の積み重ね、チーキ・ヴェイスとして生きる魂の軌跡の中で、最終的に舞台の上で実証されたのです。
ちや「袖でも2人で、やあ!おう!みたいにやってますよね」
みー「ああ、デモ隊の曲が終わった次の場面で、ゲルダに『あ!もうこんな時間だ』って言ってわたしがハケて」
かなめ「わたしがそのあと『ゲルダ、撮れたよ!』って出る前に、チーキと袖で会うんですけど、そのときに、あ!いってらっしゃい!じゃあね~バイバイ!とか言って(笑)」
みー「それも時間ぎりぎりなんですけど、そこのコミュニケーションだけはね(笑)」
かなめ「絶対にね!」
みー「はい! 」
かなめ「お稽古場からね!」
みー「はい!」
みーちゃんも一生懸命だっただろうけど、ほんとうに上級生のかたたちに支えられていたんだなあと思います。
凰稀さんにしても、あおいちゃんにしても、もちろんちやちゃんや同期のちーちゃんや皆に支えられ、見守られ、みーちゃんはひたすらチーキとして生きて、しあわせに公演を過ごせたんじゃないかって。
凰稀さんて、いわゆる「分かりやすく下級生の面倒見がいいタイプ」ではないかたですよね。だけど今回、すごくみーちゃんを大切にしてくださり、歩み寄ってくださったのではないかと…凰稀さんやみーちゃんの言葉の端々から、そしてその結果としての舞台からそれがひしひしと感じられて、とてもありがたく、また嬉しかったです。
原田を呼び出したい気持ちにいまだ変わりはありませんが(恐い)、そんなしあわせそうなみーちゃんを見られたことで、わたしもとてもしあわせになりました。
役づくりのお話が個人的に興味深かったので、わたしの趣味と独断で←別にあげさせていただきます。
チーキ・ヴェイスも、実在の人物です。ドイツ人で、ほんとうに活動家、らしい。
でも、この脚本では活動家としての部分より、アンドレ(キャパ)@凰稀さんの友人である部分が主に描かれていましたよね。(活動、してないしな)(それも一幕だけだったけどな)(しーっ!)
他の登場人物はやはり世間的にもお馴染みであり、まずビジュアル面をどうするかという部分から入ったようなお話を皆さんされていましたが、みーちゃんの役づくりは「アンドレの友人として心を動かす」、そのことに焦点を当てていたようです。
みー「わたしはアンドレの幼馴染ということで、稽古場からアンドレ、凰稀さんのされるお稽古をずっと見て、ここはチーキだったらどうするんだろうと考えたり、出ていない場面もチーキとして心を動かしてお稽古をしてきました。
友人というのは、すごく似ている部分もあれば真逆なところもあったり、それを補いあったり支えあったりしているんじゃないかと思うので……。
アンドレのいいところや、やっぱり僕がいなきゃダメだなあと思ってるところとか(笑)。そういう部分をいつも考えて。
まあ地図も逆さに読むし(笑)、殆どアンドレに助けてもらっちゃってるんですけど。
でも、そういうふうに常に心を動かしながら、お稽古から毎日を大切にすごしてきました」
言葉自体は正確ではありませんがこういう主旨のお話で、これはお茶会でも同じことを言っていましたね。
「(公演の)2時間半、常にチーキで在りたい」と。
正直言って、チーキの出番は少ないです。顎が落ちるぐらいに←
だけど、だからと言って「出ていない」わけではない。
みーちゃんは「2時間半、常にチーキで在る」、チーキとしてアンドレと共に在ることに心を砕いてきたのだと思います、お稽古場でも、舞台の上でも。
その真摯に役に向き合う姿勢が、客席に、わたしたちに、結果として伝わった。
「舞台での2時間半、アンドレと共に常にチーキは在った」
チーキの変貌を見てきたわたしは、最終的にそう感じられました。
かなめ「お稽古場とかでもいつも、ぱって見たらみーちゃんが、じーーっ!ってこっち見てるんですよね(笑)」
あおい「見守ってたね」
かなめ「そう、見守ってくれてて、それで夜遅くまでお稽古してても絶対に一緒に残ってお稽古を見てくれたりして、ほんとうに支えられてました」
いや、いくらなんでも凰稀さんを支えはまさかできないと思いますが(笑)、でもみーちゃんはチーキとして、いつもアンドレの傍にいたかったんじゃないかと思うのです。
今回は小道具でカメラを使っています。
本番ではもちろん、それぞれに自分のカメラが与えられているのですが、お稽古中は皆で回して使っていたそうです。
そんなお稽古中のエピソード。
あおい「わたし、すごい気になってたことがあって、いまさら言うんですけど(笑)。
ロバートさんの出番が終わったとき、チーキとカメラを受け渡すでしょ」
みー「はい…」
あおい「そのときにもうチーキはね、本来なら舞台上に出てるよ!って位置に立って、ずっと待ってたんですよね(笑)」
多分、最後のゲルダの死=アンドレの慟哭~チーキの独白、の部分だと思われます。
場面が終わったアンドレのカメラを、チーキが次の自分の場面で使っていたようなのですが、どうやら前のめりになりすぎて舞台(と決められたお稽古場のライン)を乗り越えた位置まで出ばって(笑)毎回アンドレの慟哭を見守り、カメラを受け取っていたみたいです。
みー「(アンドレが)ゲルダ!わーっ!ってなってるから、つい…(前へ、前へと!笑)」
あおい「ちょっとチーキあなた今、舞台に出てますよね?っていうような真横で、ずっと待ってるから。でもまあ見守ってる姿が微笑ましかったので、何も言わなかったんだけど(笑)」
みー「今も(前のめりになって)舞台に出てっちゃいそうです(笑)」
あおい「それぐらい愛情深いんですよね」
かなめ「今もすごい分かるんです、袖からの視線が、あちちっ!」
凰稀さんが焦げるほどに見つめてるのかよ(笑)。
このチーキの「魂の独白」は、初日に違和感が拭えなかった場面でもあります。
二幕にチーキの出番が殆どない、つまりアンドレがスペインへ行ったのちのチーキとの関係性が、観客側には殆ど分からない。これは完全に脚本上の欠陥、書き込み不足だと思っているのですが、だから最後にいきなり彼に出てこられて話を総括されても、みたいな。口ポカーン、だった。
でも、それが繋がったんです。なぜチーキが今、それを語るのか、それは彼がアンドレの行動をずっと自分のこととして受け止めてきたからで、そんな彼のアンドレに対する深い思いが客席を支配するに至った。
それぐらい、アンドレの心に常にチーキは寄り添っていたし、それが分かるからこの台詞に納得がいき、感銘を受けた。最初の頃にあった違和感は、いつの間にか払拭されていたのです。
二時間半、常にチーキで在ったみーちゃんの思いが脚本を超えて、場面の持つ意味自体が変わっていったのだと思っています。
慟哭するアンドレに入り込みすぎてもらい泣きしてしまったのか、独白が鼻声?みたいな日もあったようですが(笑)。
そして、しつこいけど(笑)千秋楽は「やり過ぎ」だったと思ってる(笑)。台詞だけを聞いたら、あきらかにやり過ぎです。もう、気持ちを抑えられてないんだもん(笑)。
だけど、そんな前のめりなチーキがいとおしかった。たしかに台詞だけを取り上げたら、やり過ぎだったかもしれない。でもそれは、その奥にある彼の思いが、鮮やかに浮かび上がってくる言葉だった。深い、真の部分から出る心情が、鮮やかに描き出されていた。口跡や溜め、そんな形だけのものが前のめりじゃないんです。
前のめりな、あふれ出す思いを抑えきれない、その気持ちだけで純粋に心を動かした結果が台詞のやり過ぎだったとしても、それは決して間違ってないと思うの。
そこまでやるか!なんだけど、そこまでやってしまうぐらいこの役に魂を籠めていたのだと、そしてわたしはそんなみーちゃんが、とっても好き、なのかもしれません?(笑顔)
(いや前楽はさすがにちょっとズルっときたかな)(しーっ!)(いいの、そんなところもとってもみーちゃんだから)(なんでもいいのか)
稽古場からずっと持ち続けてきた「2時間半、常にチーキで在りたい」というみーちゃんの本気、それは日々の積み重ね、チーキ・ヴェイスとして生きる魂の軌跡の中で、最終的に舞台の上で実証されたのです。
ちや「袖でも2人で、やあ!おう!みたいにやってますよね」
みー「ああ、デモ隊の曲が終わった次の場面で、ゲルダに『あ!もうこんな時間だ』って言ってわたしがハケて」
かなめ「わたしがそのあと『ゲルダ、撮れたよ!』って出る前に、チーキと袖で会うんですけど、そのときに、あ!いってらっしゃい!じゃあね~バイバイ!とか言って(笑)」
みー「それも時間ぎりぎりなんですけど、そこのコミュニケーションだけはね(笑)」
かなめ「絶対にね!」
みー「はい! 」
かなめ「お稽古場からね!」
みー「はい!」
みーちゃんも一生懸命だっただろうけど、ほんとうに上級生のかたたちに支えられていたんだなあと思います。
凰稀さんにしても、あおいちゃんにしても、もちろんちやちゃんや同期のちーちゃんや皆に支えられ、見守られ、みーちゃんはひたすらチーキとして生きて、しあわせに公演を過ごせたんじゃないかって。
凰稀さんて、いわゆる「分かりやすく下級生の面倒見がいいタイプ」ではないかたですよね。だけど今回、すごくみーちゃんを大切にしてくださり、歩み寄ってくださったのではないかと…凰稀さんやみーちゃんの言葉の端々から、そしてその結果としての舞台からそれがひしひしと感じられて、とてもありがたく、また嬉しかったです。
原田を呼び出したい気持ちにいまだ変わりはありませんが(恐い)、そんなしあわせそうなみーちゃんを見られたことで、わたしもとてもしあわせになりました。
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